第六回目となる木曜塾は松元ヒロ氏でした。「今日観て頂けたら私が松元ヒロさんを何故好きかということを分かって頂けると思います。魂が優しいというか、人間として信頼できる人です。ヒロさんのような人が日本に10%でも居たら日本も変わると思うし、もし世界の10%がヒロさんのような人なら絶対に戦争は起こらないと思います」。湯川の紹介の後、登場のBGMが流れる中を颯爽と姿を見せた松元氏。登壇されるとすぐに雑談を交えながらネタを披露して下さいました。
「私のことを見たことが無い方が多数ですよね?芸人ですが、テレビでも観たこと無いですよね?私は断ったことが1度も無いですがテレビからオファーが来ないんです」。笑いが起きた会場を待たずに「ですが、地元の鹿児島テレビの人が私を面白いと言って下さり、2年間私の密着取材をしてドキュメンタリーを撮りまして『テレビで会えない芸人』というタイトルなのに、テレビで放送されました」。さすが芸人という引き込まれる話術と時折見せるコミカルな動きが相まって、会場から大きな笑いが生まれました。「それがギャラクシー賞とか日本民間放送賞とか4つも賞を取り、全国で再放送されることになりました。これは大変なことになるぞ、電話が鳴り止まないぞと待っていましたが、1本も鳴りませんでした。何故かというと放送時間が午前4時から午前5時まで。ちょうど放送が終わった頃に皆目が覚めるんですよ」。放送を見逃した松元氏の周りの人達から、知っていたら観たのにと聞いた松元氏はそれをテレビ局へ伝えたそうです。すると1時間の映像に30分追加して『テレビで会えない芸人』は1時間半の映画になり全国で上映されました。「私が何故テレビに出られないかというと政治の話をするからです。ただ政治の話をするのではなく政府の悪口を言います。私が悪口を言えるのはどこにも所属していないから。漫才協会とか、落語協会とか、統一教会とか」。会場の大笑いが松元氏を盛り上げます。原発の処理水や北朝鮮からの飛翔体や岸田総理のご息子の話、時事ネタを辛口でこき下ろしますが、その中にユーモアがあり、「笑いましょうよ」と松元氏は笑うことを促します。「色々ありますが笑えたらいいじゃないですか」。松元氏のお人柄を表したような“笑いましょうよ”という想いはご来場のお客様の心を確実に和ませました。
「岸田総理がよく異次元のって言いますよね。本当にそうで私には意味が分かりません。異次元過ぎて訳が分かりません」。さらに続けて「LGBTQ法案、これは差別法案と呼ばれています。差別と言っても不当な差別はあってはならないということです。不当があるなら正当な差別もあるのかという話ですが、不当か正当かは政党が決めます」。決まり事のように観衆から笑いが起こります。
学生時代の松元氏は陸上に励み、鹿児島実業高校には特待生で入学されたそうです。3年間授業料免除だったことから「勉強はしていません。授業料を払ってないのに勉強したら失礼ですからね」。何度目なのか数えられない大笑いの中「私が25年間ヒロさんを観続けている理由が分かったでしょう?毎回お腹がよじれるほど笑ってしまうの。今回も皆さんとこんなに大笑いできて、ヒロさんのおかげでとっても楽しい時間を過ごすことが出来ました」。と笑顔で湯川が語り終演を迎えました。松元ヒロ氏、有難うございました。
第五回目となる木曜塾は、ウクライナ出身の歌手・シンガーソングライターのナターシャ・グジー氏。日本に住んで23年になり、親しみを込めて皆ナターシャ氏のことをなっちゃんと呼ぶそうです。打ち合わせの際に、今ウクライナで起きている戦争の話は悲しくなる...と聞いていた湯川は、「ウクライナの戦争の話を根掘り葉掘り聞く気はないけれど、毎日ニュースで報道されるものを観ても実感が無い。少しだけ聞かせてほしい」と言って会を始めます。
どちらの軍の仕業か真偽は分からない、ウクライナ南部ヘルソン州のダムが破壊された話では、「私の親戚も友人も皆泣いています。人もそうですが家も動物も何もかも流されてしまった」。苦しい胸中をやっとの思いで話すナターシャ氏に湯川は、「このまま戦争が続いたら人間にとっても地球にとっても良いことなんて無い。各国が武器を提供するより戦争をやめなさいって言えないのはなぜだろう」と、戦争への虚無感を示します。どうすれば戦争が無くなるかと湯川に問われたナターシャ氏は、「神様は乗り越えられない試練は与えないと言いますけど...。今戦争を行なっている人の頭の中をどうにかしてほしいと神様に祈っています。私はクリスチャンですがお寺にも行きますし、大地や山や川や全てのものに神様は宿っていると信じています。私の家にはキリスト教のものもありますが色んなお札もあります。皆さん(全ての神様)に仲良くしてもらいたいなという思いがあります。私の中ではこの神様だけというのは無くて、神様というのは大きな存在として信じています」。その言葉を受けた湯川は「私も、音楽は神様だと思っています。世界中で言葉を超えたリズムに働きかけるもの。それは何かというと心臓です。一人一人が心臓というリズム楽器を持っていて、音楽を聴きながらそこできっと一つのことを祈ると思う。だから運んできてくれる愛も必ず伝わるの」。戦争という答えのないものに、二人の会話は一筋の光を見出したい、見出してほしいという願いに溢れていました。
「なっちゃんの音楽を聴いて沢山の祈りを受け取ると思います」そう話すと、湯川はステージを後にし、ナターシャ氏はウクライナの民族楽器バンドゥーラを使い、弾き語りで演奏を始めました。透き通るような歌声と音色で一曲目を終えると「私は生まれも育ちもウクライナです。私の演奏を通して少しでもウクライナを感じて頂けたらと思います」。ウクライナの民族衣装を纏いウクライナを想いながら演奏されるナターシャさんの姿に、平和が尊いものだと教えられました。
アンコール曲は湯川が作詞をした『幸せをありがとう』を演奏されました。ナターシャ氏の祈りが世界に届いてほしいと、会場中が想いを馳せる会となりました。ナターシャ・グジー氏、有難うございました。
ナターシャ・グジー氏の木曜塾にて皆様から頂きましたウクライナへの募金(51,193円)は、湯川れい子音楽事務所・オフィスレインボウを通じてWFP(国際連合世界食糧計画)へ寄付をさせて頂きましたことをご報告申し上げます。皆様の温かいお心遣いとご協力に深く御礼申し上げます。
第四回目の木曜塾は江原啓之氏です。江原氏の絶大な人気は健在で2階会場は満員御礼となり、心苦しくも3階スクリーン会場も使用し開催されました。当時ご活躍されていた江原氏が何故テレビから去ったのか、現在どのような生活をしておられるのか、ざっくばらんにお話し下さいました。
江原氏曰く、一線で活動中にスピリチュアルカウンセラーなどが山ほど出てきて世論からも叩かれ、死後の世界の話や科学的に証明出来ないスピリチュアルなものはテレビでは御法度になり、その頃に朝の情報番組から占いや血液型診断が無くなったそうです。少し寂しそうな悔しそうな表情でそう話された後「ですが皆さんどこかで命や心を求めている。今、私は岡山の大学で若い世代の人達にスピリチュアルを語っています。魂の話や人は何故生きるのかという話を学生達は食い入るように耳を傾けてくれます。今またスピリチュアルの世界が戻ってきています」江原氏は穏やかな口調でにこやかに語って下さいました。
湯川との対談では、湯川の最愛の姉が亡くなる前に交わした「あの世がどんなところかお知らせするね」という約束があるけれどまだお知らせが来ないと話す湯川の問いかけに、亡くなられた方と通信を取りたい人にほど来ないと江原氏は答え「死ぬことより生きることの方がずっと大変です。現世で体があるから病気があり、食べていく為に仕事をしてそこにまた苦労がある。あの世は何の苦しみも無くすごく楽なところ。あの世に想いを馳せると憧れが強くなってしまう」姉からのお知らせが届かないと嘆く湯川を諭しながら「記憶を消されて覚えていないだけで、お会いしたい方とはちゃんと夢で会えています」江原氏がそう話されると優しい空気が会場を包みました。
「今日が最後の日だとしても充実させないといけない。私の座右の銘は『ぼやぼやしてるとすぐ死んじゃう』です。素直に自分の求める生き方をしてみて下さい」江原氏は笑顔で話され会場も笑い声で溢れました。
20数年来の友人である江原氏と湯川の対談は、当時の思い出話から現在の日本や世界情勢の話まで幅広く、時にとある著名人の面白い話を盛り込みながら時間を忘れるひと時となりました。定刻を20分過ぎても尚聞き足りず、嬉しいことに湯川の一声により来年のご出演もご快諾して頂きました。次回の江原氏の木曜塾も是非ご観覧下さい。
第三回目のゲストは京胡王子こと、京胡演奏家であり京劇俳優のウー・ルーチン氏。今回、会場(スペース天夢)がリニューアルされ、新たに黒く塗られた空間で開催されました。その中で真っ白な衣装を身に纏い演奏されたウー氏のステージは圧巻でした。
ウー氏と湯川の出会いは30年ほど前の鹿児島の山の中だったとのこと。たまたまご縁を頂いた鹿児島のお寺で、湯川の息子(現社長の田村有宏貴)が歩き遍路をしたことがきっかけで、感謝の意を表してそのお寺に毎年8月に音楽を奉納していました。まだ奉納し始めて数回の時、何故かそこにウー氏がいたそうです。その年の正月にウー氏が中国で行った新京劇の映像を観た湯川が感動し、どうにかしてウー氏のことを日本に広めなければ!と強い使命感を抱き、東京の音楽関係者を集めてウー氏をお披露目しました。そんな中、手を挙げて下さった方が当時avexというレコード会社を作られた依田巽氏でした。依田氏はウー氏をavexからデヴューさせ、『It's for you』というアルバムがクラシックのチャートで3位という大ヒットを記録したのです。
ウー氏が演奏されている京胡という楽器は、その音色が人間の声に一番近いとされており、京劇の主役の主旋律と一緒に歌いながら演奏するもので、弦は2本と少なく音域も狭く、作曲家や演奏家にとって非常に難しいのだそうです。
ウー氏は湯川への感謝の想いと共に、今でも大事にしている奥様からの「これからあなたの音楽と芸術性が、世界に広がっていくのよ」という言葉があったから、今でもこうして活動できていますと語って下さいました。日本にいる華僑の方々にとってウー氏はスターであり、平和の架け橋として日本と中国の両方で活躍してほしいという湯川の願いに「そうなりたい、そうで在りたい。」とウー氏は笑顔で応えて下さいました。
ご自身がいつも着けられているエイトスターについて「これは本当に宝です。私はこのダイヤが大好きで、これを着けていると自信が溢れてくるのです。本当にお世辞なしにこのエイトスターの指輪を着けていないと不安になるほど、私にとっては大事な宝物です」と、ウー氏はニッコリとされ、湯川と談笑を交わされました。
アンコール曲の旋律が止むと、一瞬の静けさの後にスタンディング・オベーションの拍手が会場に鳴り響きました。ウー氏による繊細な演奏で素敵な夜となりました。有難うございました。
二回目となる木曜塾のゲストは脳科学者・茂木健一郎氏です。湯川の紹介により歓迎の拍手が会場を包む中、少し照れたお顔の茂木氏が登壇されました。数多くの著書やコメンテーターなどでお馴染みの茂木先生ですが、実は湯川との繋がりも色濃く「音楽の事、海外アーティストの事、私では知り得ない事をたくさん教えて頂きました」と話し、咄嗟に湯川への呼び方も先生から師匠に変えられていました。(笑)
湯川からフリートークを任せられた茂木先生は、「科学的な立場から『幸せ』を考えるとなかなか奥深い」とジャケットを脱ぎ、さあ、話し始めようかという時に、会場後方にあるカメラを見つけます。記録用の撮影でこの映像が世に出ることは無い、という事を確認すると眉を開いて、ここから茂木劇場が始まりました。
自分の大切な友人だと語るホリエモンこと堀江貴文氏が、六本木の豪華な家からもっとセキュリティの高い中野刑務所に引越しをした時を振り返って、会場は笑いで包まれました。茂木氏が面会で訪ねた時、堀江氏はおやつにバナナが出てきて嬉しかったと言ったそうで、「贅沢な暮らしをしていた彼がバナナで喜ぶんですよ」と聴衆に投げかけます。「幸せになるというのはある意味では現状を受け入れることですが、向上心を失うということじゃない。私たちは幸せを結末だと、目標達成のことだと刷り込まれているけど、これは脳科学的には間違いで、幸せとは出発点のこと。幸せだと感じれれば感じるほどチャレンジできる」
「自分の個性とか、持って生まれた資質とか、築いた人間関係とか、今日の時点まで積み上げてきたものは変わらない。それらを好きだ嫌いだと言うのではなく、受け入れることが脳科学の答えです」と。
茂木氏の「自分を好きか嫌いか考えたことが無い。だってしょうがないから。これからの未来の事は選べるけれど、過去のことや持って生まれたものは選べない。選べないものは受け入れるしかない」という言葉は、脳科学者としての確固たる姿勢に裏付けられていました。さらにジェンダーについて、賢さについて、AI(人工知能)について、脳科学者の知見を披露して下さいました。
そんな楽しい茂木劇場はたびたび脱線。カメラに向かって「ここは本当にカット!」とか「有料会員にしか言えない」と言いつつも、お話は終始実名で、何一つ隠してお話されることがありませんでした。
最後に「ダイヤモンドって地球でできたと思っていませんか?太陽系ができる前のサイクルの超新星爆発でできたという有力な説があります。皆さんの持っているエイトスターも超新星爆発でできたものかもしれませんよ」茂木先生が発言されると、会場に歓声が起こりました。最後まで楽しませて頂き、「今日はありがとうございます」と頭を下げられた茂木先生に万雷の拍手が送られました。
今年の2月から始まった湯川れい子による木曜塾。おかげさまで、発表と同時に予約が殺到し、当社の二階にある「天夢」は満員御礼となり、心苦しくもキャンセル待ちとなってしまった多数のお客様は三階にてスクリーンでご観覧頂くという、普段の木曜会とは異なる状況と雰囲気に包まれる中、まずは湯川がステージに上がりました。当日までお名前を明かすことが出来なかった第一回目のゲストは何と、第87~89代内閣総理大臣の小泉純一郎氏でした。湯川がご紹介する形で小泉氏がご登壇された瞬間、大きなどよめきと歓声が会場に響き渡りました。
ご自身の生い立ち、政治、音楽、原発などについて、幅広い内容のお話をして下さいました。小泉氏のお祖父様は第二次若槻内閣で逓信大臣をお務めになり、若い頃に全身に入れ墨を彫っていたことから“いれずみ大臣”と呼ばれていたことや、お父様も政治家であったことなど、まさに政治家の家庭でお育ちになったとのことでした。原発については2011年の東日本大震災のことに触れられ、「40基稼動していた原発があの事故の後、二年間は原発ゼロだったにも関わらず、一回も北海道から九州まで停電など起きなかった。原発が無くてもやっていけるのに、また稼働しようとしている」と、少々険しい表情で熱く語って下さいました。約47万人の避難者を出した福島の原発事故。何故、今もなお政府は原発を再稼動させようとしているのか?滅多に聴くことが出来ない貴重なお話をして下さいました。
一方、音楽をこよなく愛することでも知られる小泉氏。最初はお好きなクラッシックのヴァイオリンの曲のお話から始まり、エルヴィス・プレスリー、映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネ、そしてカラオケでお歌いになる曲や演歌のお話。意外にも「宗右衛門町ブルース」をよくご帰宅時にお歌いになるのだそうで、ステージ上でも実際に笑顔でとても楽しそうに歌って下さり、お客様も大喜びでした。
最後に、「音楽は色々な意味で私達を癒してくれます。全ての武器を楽器に変えて欲しいと心から願っています。そうすれば絶対に戦争など起きないはずですから」と、湯川が締め括り、お客様より盛大な拍手を頂きながら第一回目の木曜塾は無事に終わりました。
今後も、湯川だからこそお呼び出来るゲストの方々をお招きして、エイトスター・ダイヤモンド内の「天夢」でなければ聴くことの出来ない対談やミニ・コンサートを行っていく木曜塾。皆様のご予約とご来場を心よりお待ちしております。