Report レポート

  • 20241/11Thu
    第12回

    大德寺昭輝 

    (アーティスト/天命庵主)

     第12回目となる木曜塾は、大徳寺昭輝氏です。年明けの恒例となっている大徳寺氏の講演会が今年も木曜塾で開催されました。
     「明けましておめでとうございます」と新年の挨拶をした湯川は、元日の能登半島地震に触れ「なかなかおめでとうとは言いにくいですね。辰年だからってどうして元日にあんなことが起こるのでしょう。干支には色んな意味があるのでしょうけれど。早くそのことを彼に聞いてみたい。」と大徳寺氏の登場を急ぐ湯川は、時間が勿体無いと直ぐに対談へ移りました。
     湯川に辰年の意味を尋ねられた大徳寺氏は、「辰年は2月3日節分からで、正確にはまだ卯年です。特に昨年の卯年は『扉を開く』という意味がありました。思い返してみると政治の扉が開きました。宗教の扉も開きました。色々な扉が開いた後の今年は甲辰(きのえ・たつ)になります。甲と辰が重なるのは60年に一度で『物事が始まる』という意味があります。ですので『扉が開いて始まる』ということです。私は昨年、おやさまに大変なことが起こると言われて能登半島の珠洲市(すずし)に何度も訪れお祈りを捧げていました。」悲しみと悔しさを滲ませながら、大徳寺氏は昨年と今年の干支の意味を解説して下さいました。
     大徳寺氏が以前お話する機会のあった、とあるドクターから「子供はお腹の中にいる時に母親のDNAが入っていく。どうやって入っていくのか医学的には分からないけれど、男性も女性も母性を持ってこの地上に産まれてくる。」という話を大徳寺氏から聞いた湯川は、「確かに全ての命は母親から産まれてくる。この時代は男性性が強くて、どこも対立して戦うことを止めないけれど、争いが続けば人類の破滅しかない。それは全ての生あるものが破滅するということです。そのことの愚かさに私達が気付いて変わっていかなければいけない。その為にはどうしたら良いのか考えなければならない。」2人は混沌とする世界情勢を憂いて、葛藤する胸の内から何か答えを見つけようと熱く語り合いました。
     対談後に、元日の能登半島地震による震災と、二日に起きた日本航空機と海上保安機の接触事故への黙祷を、会場の皆様と共に捧げました。
     対談後はご自身の半生についてユーモアを交えて語られました。プロテスタント系の高校在学中に「あなたの聖書の解釈は素晴らしい。牧師になりなさい。」と教師から言われ、「私はお坊さんになります」と答えて周囲を驚かせた大徳寺氏。高校を卒業後すぐに天理教に帰依し、湯河原に天命庵という庵(いおり)を結ばれました。「世の中の皆様を正道に導きたい。その一心でずっと歩いてきました。」大徳寺氏の曇りのない瞳には確かな使命感が宿り、ご自身の選んだ選択に一抹の悔いも無いと話されました。社団法人設立の際は、自分の利益の為に事業を起こすことに難色を示していた大徳寺氏でしたが、とある高齢女性から「あなたのおかげで私は随分と助けられた。本当に幸せになった。私が生きている間に何かさせて下さい。でもこれはあなたの為にではないです。」この言葉を聞いた大徳寺氏はハッとなり、「そうか。私の為ではない。未来の為だ。」と、気付きを頂いた女性へ感謝が絶えないと話されました。
     先代・田村富保を思い出し、この場所(旧:天夢/新:ステラ)から色々なご縁が繋がったと涙ぐまれた大徳寺氏。新年から多くの学びとともに心温まる会となりました。大徳寺昭輝氏、有難うございました。

  • 202312/14Thu
    第11回

    DJ OSSHY

    (DISCO DJ)

     第11回目となる木曜塾は、クラブDJでご活躍中のDJOSSHY氏。フリー・アナウンサー、押阪忍氏と栗原アヤ子氏のご子息で、『エス・オー・プロモーション』代表取締役社長も務められています。クリスマス前の開催だった為、ステージ上には湯川が企画したクリスマス・プレゼントが並び、来場されたお客様の中にはサンタの帽子を被られている方々もいらっしゃったりと、クリスマスを先取りする煌びやかな空間に湯川も興奮しながらOSSHY氏を会場に呼び込みました。
     登壇されたOSSHY氏は「安心・安全・ディスコカルチャーの伝道師、またの名をDJ界の氷川きよしと自称しております。高齢者の味方だからです。更にお金では動かないことからDJ界の大谷翔平と、こちらも勝手に自称しております。」と、満遍の笑みで自己紹介をされ、冒頭から会場中が拍手と笑い声に包まれました。
     1977年に公開されたアメリカ映画『サタデー・ナイト・フィーバー』がきっかけで、日本中が“ポスト・ディスコ"(1970年代後半から1980年代前半にかけてのディスコ・ミュージックの音楽・ムーブメントを指す言葉)がブームとなり、その渦中の1981年に初めてディスコを訪れたOSSHY氏。「私の両親は全国区のアナウンサー・タレントで、テレビを点けると毎日必ず出演していて、父は『アナウンサーとは“クリーンなイメージ" 』ということを一番大事にしていました。その息子が非常にダーティーなイメージのディスコに出入りしている。若者にとっては人気の象徴として、まさにエンターテイメントの場ではありましたが、社会的には白い目で偏見を持って見られるような時代でした。いわゆる夜の世界。お酒や煙草、不良達が集う場所がディスコ。そこでDJをしていたら不良達のリーダーというイメージがあり、両親ともに大反対でした。何故そこに通い何故そこで働こうとするのか全く理解出来ない、両親からそう言われる時代でした。」その時代を知る湯川や会場のお客様は一様に頷きながら聞き入りました。「私が今まで約42年DJ業を続けてこられた原動力は、厳格だった父親に如何に認めてもらえるか、それだけを目標にして“あの手この手"で創意工夫をしてきたからです。2002年に親子で楽しめるディスコ・パーティーという企画を、私が現場で担当させて頂き、大変話題になりました。親子で同じ曲を一緒に踊って楽しむ、ディスコを休日の昼間に楽しむなんて考えられない時代でしたが、これを単発で終わらせるのは勿体無いと直感し、自分で企画して毎年行おうと決めました。最初は40人ほどからスタートしましたが、今では十倍の400人ほどになりました。その光景を見た父親が初めて『お前のやっていることは子供も楽しめるのか。子供も一緒に参加出来るのか。それは良いな。』と言ってもらえた。そこに行き着くまで20年かかりました。それまで父は口をきいてくれませんでしたから。親子で楽しめるということで初めて耳を傾けてくれました。」達成感と安堵の笑顔で語ってくださったOSSHY氏に、湯川も「嬉しいわね!それは本当に良かったわね~!!」とOSSHY氏の苦節20年を包み込む笑顔で応えました。
     OSSHY氏は全国の老人ホームや介護施設でシルバー・ディスコを開催しており、対談後は『座って楽しめるディスコ』を皆様にご体感頂きました。往年のヒット曲に合わせて皆で身体を動かすと、自然と不思議に笑顔が溢れました。音楽と踊りを融合したディスコに魅了され、活動を続けてこられたOSSHY氏の会は会場全体
    がキラキラな笑顔と熱気に包まれ、まさにクリスマスに相応しい会となりました。DJ OSSHY氏、有難うございました。

  • 202311/9Thu
    第10回

    中森じゅあん

    (鬼谷(きこく)算命学の大家)

     第十回目となる木曜塾は「日本算命学会」代表の中森じゅあん氏です。「40年来の友達で算命学の大家です」と、湯川から紹介され鮮やかな青い衣装に身を包 んだ中森氏が登壇されました。湯川から椅子に座るよう促された中森氏ですが、「座ると寝てしまうから」と断わられ立ちながら対談が始まりました。
     「算命学を話す前に何も知らない初心者でも分かるように」と湯川が切り出します。「占いというのは紀元前からあって、世の中に占いというのは3,000種類以上あるそうです。占いを大きく3種類に分類しますと、一つは 生年月日、生まれた星で占うもの。算命学も宿曜占星術も数秘術も九星気学もそうです。二つ目は卜術(ぼくじゅつ)という偶然の要素を使って占うもの。全ての事象は必然で起こっているものだから。タロットやルーンや易学、おみくじもそうです。三つ目は相術といって手相です。お化粧をどうしたら良いかなどを顔相と言ったりします。玄関をどうしたらいいか、方角はどうしたらいいかなどの風水も相術です。」湯川が占いについて説明をしている間に、中森氏は算命学で観た湯川の結果をホワイトボードに貼り付け、算命学を話す準備を整えました。
     「宇宙の法則に沿って生年月日というものを星に変えて、4,500年以上前に中国で陰陽五行説というものが生まれました。それは中国が世界に誇る思想哲学です。そのお手本は全部自然です。天地合体というのは時間と空間を併せたものです。こんな話をすると面倒臭くてややこしくなりますが、実際に私たちは自然の法則・宇宙の法則・森羅万象の中に生きていながら全然違う生き方をしている。算命学が教えていることは、自然の法則・宇宙の法則を全部一つにして、一人一人の生年月日からそれぞれの生き方を分かるようにしたものです」。算命学では湯川は“雨”、中森氏は“灯”で相性は悪いそうです。「それでなぜ40年も友情関係が続いているの?」と湯川が尋ねると、「要するにバランスです。人生と同じで良いものばかりが自分を助けてくれると良くない。森羅万象とはそういうことです。」一つとしてみた時に良し悪しを含めて全てある状態が一番いいのだと中森氏は話されました。湯川は先代の田村が“金”だったことを思い出し、自分が“雨”では錆びてダメだったのかと中森氏に尋ねると、「違います。逆に田村さんがあなたを人間として強くしました。」と答えられ、「そして今年は雨の年です。あなたにとって色々な意味で新たなスタートとなった年です」。それを聞き今年は大変な年だったと湯川が 思い出しながら話すと「あなたは王様だから楽をしたらダメなんです。エネルギーが凄く強い。エネルギーが強いということは困難に遭ってこそ活きる訳です。」中森氏の言葉に湯川は頷きながら聞き入っていました。
     運という字をどう思われるかと中森氏は観客に聞き、「右は軍隊です。左のしんにょうには行くとか立ち止まるという意味がある。運というのは本来は戦いです。戦うと言っても戦争をするとかではなく、ストラテジー(軍略) ということです。人生戦略。楽なことばかりだといずれ大変なことが人生にやってきます。それには自分を知って相手を知って、あるいは経営者であれば部下を知って、家族であれば一家の全部の星を知って、そうすると色々な人の持って生まれたものが分かります。」中森氏の算命学は日頃滅多に触れることの出来ない貴重な体験となりました。中森じゅあん氏、算命学の神髄をお話下さり有難うございました。

  • 202310/12Thu
    第9回

    和田秀樹

    (日本大学常務理事/ルネクリニック東京院 院長/日本映画監督協会理事)

     第九回目となる木曜塾は数多くの著書を世に送り出し、『和田秀樹こころと体のクリニック』の院長を務められている和田秀樹氏です。湯川から和田氏の著書の紹介があり、拍手の中で和田氏が登壇されました。
     「沢山お集まり下さり有難うございます」と和田氏が話された後、「映画の初日、舞台挨拶の日だけはお客さんが沢山いらっしゃられるけれど、その後に映画館を見に行くとちょっとガックリすることが多いので、沢山お客さんが来てくれることは本当に嬉しいです」と、映画監督でもあるご自身の体験からも感謝を述べられました。
     対談では湯川が一番聞きたいことを和田氏に尋ねました。「コロナで鬱になった人が非常に多いと思う。コロナの為だけではなく競争社会の時からそうだった。働き盛りの時に鬱になることが私の周りにも多くて...。心療内科って日本に沢山ありますけど、心療内科に行ってもアメリカのようにセラピストとして話を聞いてセッションをしてくれるということが日本には無いですよね。」これを受けて和田氏は「日本の保険制度の問題で、患者の話を5分聞いても30分聞いても、(病院に)入ってくるお金は全く同じです。そういう問題が一つあることと、お医者さん達もなるべくお薬で治そうと思う方が多い上に、大学の心療内科や精神科の教授というのは教授会の選挙で選ばれます。精神科に限ったことではなく内科の先生も外科の先生もみんな心の問題に関心が無いようで、日本には82も大学の医学部があるのに精神科や心療内科の主任教授の専門分野がカウンセリングの人が一人もいない。薬の研究をしてきた人達ばかりです。結局、他の科の先生が選挙で選ぶので論文の数で決めるということになる。これは重要な問題で、大学の医学部では6年間授業を受けますが心の問題の授業を受けられるのは精神科の時だけです。精神科の授業でしか心の問題を聞けないのに、精神科の教授がカウンセリングの専門ではないので脳内から分泌される物質の話ばかりになる。どうやって(患者さんと) 面接をするのかということを医学部の6年間で全く習わないので、精神科だけの問題ではなく、カウンセリングや心の問題を扱っている教員が医学部にいない状況が日本の大きな問題だと思います。」 深く共感しながら聞いていた湯川は「病は気からと言うように、病気って精神的なストレスとか苦しみから引き起こるものじゃないですか?病院に行ってお医者様とお話をして色々伺いたいと思ってもずっとパソコンを触って画面を見ていて、時々チラッとこちらを見るくらいでとても心の領域なんかに入りようがない。」湯川の言葉に多くの方々も頷きました。和田氏は「人間ってもちろん薬で治さなければいけないところもありますし、色々な体調 の不調もあるのだろうけど、最後はやっぱり心が元気にならないと全体的な意味で元気になったとは言えません。医者というのは病気を治すことは出来るけれど、今より元気になる方法を教えてくれない。歳を取れば取るほど栄養を沢山摂っている人の方が元気です。例えばメタボ健診で痩せろとか我慢しろとか言われる訳だけど、それを歳を取ってからも続けていると明らかに元気が奪われます。医学部の6年間の授業で栄養学は一秒も教えてもらえない。これが日本の医学教育です。」和田氏は憤りを隠すことなくお話をされ、共感と納得をなさった方々から盛大な拍手が送られました。和田秀樹氏、大変に貴重なお話を有難うございました。

  • 20239/14Thu
    第8回

    クミコ

    (歌手)

     第八回目となる木曜塾はシャンソン歌手のクミコ氏。「今でも私が自分でチケットを買って聴きに行く数少ないアーティストの一人で、歌を心に届けてくれる歌い手です。」にこやかに湯川が紹介した後、颯爽とクミコ氏が登壇され壇上に二つ、笑顔の華が咲き対談が始まりました。
     二人の出逢いを紐解く為、3・11東日本大震災に遡り ます。クミコ氏は宮城県石巻市でコンサートをする当日、楽屋にいらっしゃった時に震災に遭われたそうです。さぞ辛く怖かったことでしょうと寄り添う湯川は続けて「私は当時日本でコンサートしていたシンディ・ローパーに、日本のアーティストから募金を募りたいとお願いされたのだけれど、日本のアーティストは所属事務所から外出を禁止されていた。そんな中をクミコさんが真っ青な顔をして駆けつけて下さった。命からがら東京に帰ってきたところを来て頂いて本当に嬉しかった。」しかし、二人は3・11以前に会った記憶が無く、募金になぜ行ったのか、なぜ来てくれたのかを思い出せません。「あのような大変な出来事があったにも関わらず来てくれた。つまりクミコさんはそういう人なのです。」当時を振り返ると哀愁の記憶が大半の中、クミコ氏への感謝が尽きないと湯川は語りました。
     クミコ氏が最初に注目を集めて世に出たのはいつ頃か湯川が尋ね、2002年までクミコというカタカナの名前を知る人はほとんどいなかった、とクミコ氏が答えられた瞬間、「そう!今日聞こうと思ってたの!」と思い出した湯川は続けて、「最初つまらない名前で歌ってたわね。なんで?」その言葉を聞いたクミコ氏は「つまらないって何ですか!本名ですから!」会場中が大笑いの中、湯川が謝ります。「それは失礼しました。でもあの名前で歌ってもピンと来ないのよ。」クミコ氏はハッとした顔をして、「それは永六輔さんにも言われました。ここにチラシがあったとしても、誰一人あなたの名前を覚える人なんていないよって。実は別れた旦那の苗字を使っていたのでそれを取ってクミコにしました。」それを聞いた湯川は「あぁ、良かったわね。そこから拓けていったのね。ご苦労はされたのかも知れないけれど、ひたすら自分の好きな道をコツコツと歩いてきたものね。」クミコ氏ははにかみながら「そう言って頂けると格好が良いですけどね」と謙遜して答えられました。
     湯川から体が細いのに声量が凄いことを指摘されたクミコ氏は、「何十年も培ってきたものが一応ありますから」と答えられ、「それと暇だったからということもあると思います。若い時に全盛を極めるというか本当に(売れて)大変だった方々は、やはり声が痛みますから。私は幸か不幸かそういう時期に暇でしたので。あとはあまり練習をしないことです。私の場合は練習のし過ぎでダメになってしまうので、程良くやって本番に臨むことが一番いいと近頃やっと分かりました。シャンソンは年を重ねることが不利益にならないというか、逆に武器になるので、何よりも人生を一生懸命に生きることが歌に繋がるとこの頃は思っています。」
     対談後、クミコ氏は五曲披露して下さいました。しなやかに歌われたり力強く『ヨイトマケの唄』を歌われたり、最後には湯川が作詞をした『うまれてきてくれてありがとう』を豊かな表現で歌い上げて下さり、会場内に一体感が生まれました。クミコ氏、素敵な歌声を有難うございました。

  • 20238/10Thu
    第7回

    鎧塚俊彦

    (パティシエ/実業家)

     第七回目となる木曜塾は、パティシエの鎧塚俊彦氏。麦わらのハットを被った鎧塚氏が颯爽と登場されると、「私が鎧塚さんと深く関わることになったのは実は動物愛護です」と湯川が話し始めました。「奥様の川島なお美さんが愛犬にすごく愛情を注がれ、亡くなられた後も鎧塚さんが一生懸命に愛犬の面倒を見てらっしゃった。一番胸を打たれたのは、なお美さんが病気になられてからも、最後の最後まで明るく楽しくお二人で頑張られました」。鎧塚氏は「深刻に悩んで解決するならいくらでも深刻に悩みますけどそうではないので、例えばお寿司が食べたいと言われたらお寿司屋さんの格好で届けますし、楽しくなるように接していました。僕はパティシエですが、女優でも落語家でも漫才師でもみんな同じで、人を楽しませることで自分も楽しむみたいなところがある。女房もサプライズが好きでしたので僕もそこは一緒でした」。鎧塚氏の一途な想いが初見のお客様にも伝わりました。
     会で話すことは決めず、お客様の顔を見ながら進めると言う鎧塚氏。「僕はライブ感に拘っています。個人店がコンビニより値段が高い理由は手作りだからです。手作りだと何故高いのかというのを見せないといけない。6席のカウンターデザートを始めた時、回転率は寿司屋で客単価はラーメン屋、これは絶対潰れるぞ。と師匠から言われた」。店舗が増えた今でも儲からないけれど、お客様がお帰りの際に焼き菓子を買って下さったりすることで利益が生まれているそうです。
     「僕が大事にしていることは職人力です。お客様に喜んで頂く為に、どれだけ時間がかかったとしてもやり遂げる。それはプライドであったり自分が納得できたかということでもありますが。この話をするとパワハラや時間外労働が出てくるけれど、それは職人の悪いところで、若い世代に押し付けたり求めてはいけない。それらは全て改善しなければいけない。僕が言っているのは職人気質のことです。職人気質を残しながら時代に合わせた働き方をする。お客様に喜んでもらいたいと思う、その気持ちを残したいということです」。職人としての思いと経営者としての思い、矛盾するところが無く腑に落ちました。
     インスピレーションが煮詰まったことはあるかという質問には、「ピラミッドは何千年経ってもビクともしない。黄金比があって土台が広ければ広いほど上に積んでいける。ヨーロッパに居た時(修行中)はずっと横に広げ、お店を始めてから上に積み上げた。当時はそれが楽しくて、溜めていたもの出し切ったらまた新しいものが入ってくるという思いでやっていた」と答えられ、付け加えるように「スタッフにも『ひねるな』と言い続けています。長くやっているとオリジナリティを出したくなるというか。悪いことではないですが一部の新しいもの好きを除いて、基本的には珍しいもの・新しいものではなく、美味しいものを食べたいと思っている。そのことを忘れるなということです」。経験値から出る言葉に確かな自信と重みがありました。
     コロナ禍をどう乗り越えたのか、湯川が審査員を務めた音楽祭でマイケル・ジャクソンをやりグランプリを受賞したことなど、話は尽きないまま会の定刻は過ぎました。最後に湯川が「鎧塚さんがいかに真面目な人か、一生懸命な人かが分かったでしょう?」と言うと、会場から拍手と歓声が起こりました。鎧塚氏、有難うございました。

  • 20237/13Thu
    第6回

    松元ヒロ

    (スタンダップ・コメディアン)

     第六回目となる木曜塾は松元ヒロ氏でした。「今日観て頂けたら私が松元ヒロさんを何故好きかということを分かって頂けると思います。魂が優しいというか、人間として信頼できる人です。ヒロさんのような人が日本に10%でも居たら日本も変わると思うし、もし世界の10%がヒロさんのような人なら絶対に戦争は起こらないと思います」。湯川の紹介の後、登場のBGMが流れる中を颯爽と姿を見せた松元氏。登壇されるとすぐに雑談を交えながらネタを披露して下さいました。
     「私のことを見たことが無い方が多数ですよね?芸人ですが、テレビでも観たこと無いですよね?私は断ったことが1度も無いですがテレビからオファーが来ないんです」。笑いが起きた会場を待たずに「ですが、地元の鹿児島テレビの人が私を面白いと言って下さり、2年間私の密着取材をしてドキュメンタリーを撮りまして『テレビで会えない芸人』というタイトルなのに、テレビで放送されました」。さすが芸人という引き込まれる話術と時折見せるコミカルな動きが相まって、会場から大きな笑いが生まれました。「それがギャラクシー賞とか日本民間放送賞とか4つも賞を取り、全国で再放送されることになりました。これは大変なことになるぞ、電話が鳴り止まないぞと待っていましたが、1本も鳴りませんでした。何故かというと放送時間が午前4時から午前5時まで。ちょうど放送が終わった頃に皆目が覚めるんですよ」。放送を見逃した松元氏の周りの人達から、知っていたら観たのにと聞いた松元氏はそれをテレビ局へ伝えたそうです。すると1時間の映像に30分追加して『テレビで会えない芸人』は1時間半の映画になり全国で上映されました。「私が何故テレビに出られないかというと政治の話をするからです。ただ政治の話をするのではなく政府の悪口を言います。私が悪口を言えるのはどこにも所属していないから。漫才協会とか、落語協会とか、統一教会とか」。会場の大笑いが松元氏を盛り上げます。原発の処理水や北朝鮮からの飛翔体や岸田総理のご息子の話、時事ネタを辛口でこき下ろしますが、その中にユーモアがあり、「笑いましょうよ」と松元氏は笑うことを促します。「色々ありますが笑えたらいいじゃないですか」。松元氏のお人柄を表したような“笑いましょうよ”という想いはご来場のお客様の心を確実に和ませました。
     「岸田総理がよく異次元のって言いますよね。本当にそうで私には意味が分かりません。異次元過ぎて訳が分かりません」。さらに続けて「LGBTQ法案、これは差別法案と呼ばれています。差別と言っても不当な差別はあってはならないということです。不当があるなら正当な差別もあるのかという話ですが、不当か正当かは政党が決めます」。決まり事のように観衆から笑いが起こります。
     学生時代の松元氏は陸上に励み、鹿児島実業高校には特待生で入学されたそうです。3年間授業料免除だったことから「勉強はしていません。授業料を払ってないのに勉強したら失礼ですからね」。何度目なのか数えられない大笑いの中「私が25年間ヒロさんを観続けている理由が分かったでしょう?毎回お腹がよじれるほど笑ってしまうの。今回も皆さんとこんなに大笑いできて、ヒロさんのおかげでとっても楽しい時間を過ごすことが出来ました」。と笑顔で湯川が語り終演を迎えました。松元ヒロ氏、有難うございました。

  • 20236/8Thu
    第5回

    ナターシャ・グジー

    (歌手/バンドゥーラ奏者)

     第五回目となる木曜塾は、ウクライナ出身の歌手・シンガーソングライターのナターシャ・グジー氏。日本に住んで23年になり、親しみを込めて皆ナターシャ氏のことをなっちゃんと呼ぶそうです。打ち合わせの際に、今ウクライナで起きている戦争の話は悲しくなる...と聞いていた湯川は、「ウクライナの戦争の話を根掘り葉掘り聞く気はないけれど、毎日ニュースで報道されるものを観ても実感が無い。少しだけ聞かせてほしい」と言って会を始めます。
     どちらの軍の仕業か真偽は分からない、ウクライナ南部ヘルソン州のダムが破壊された話では、「私の親戚も友人も皆泣いています。人もそうですが家も動物も何もかも流されてしまった」。苦しい胸中をやっとの思いで話すナターシャ氏に湯川は、「このまま戦争が続いたら人間にとっても地球にとっても良いことなんて無い。各国が武器を提供するより戦争をやめなさいって言えないのはなぜだろう」と、戦争への虚無感を示します。どうすれば戦争が無くなるかと湯川に問われたナターシャ氏は、「神様は乗り越えられない試練は与えないと言いますけど...。今戦争を行なっている人の頭の中をどうにかしてほしいと神様に祈っています。私はクリスチャンですがお寺にも行きますし、大地や山や川や全てのものに神様は宿っていると信じています。私の家にはキリスト教のものもありますが色んなお札もあります。皆さん(全ての神様)に仲良くしてもらいたいなという思いがあります。私の中ではこの神様だけというのは無くて、神様というのは大きな存在として信じています」。その言葉を受けた湯川は「私も、音楽は神様だと思っています。世界中で言葉を超えたリズムに働きかけるもの。それは何かというと心臓です。一人一人が心臓というリズム楽器を持っていて、音楽を聴きながらそこできっと一つのことを祈ると思う。だから運んできてくれる愛も必ず伝わるの」。戦争という答えのないものに、二人の会話は一筋の光を見出したい、見出してほしいという願いに溢れていました。
     「なっちゃんの音楽を聴いて沢山の祈りを受け取ると思います」そう話すと、湯川はステージを後にし、ナターシャ氏はウクライナの民族楽器バンドゥーラを使い、弾き語りで演奏を始めました。透き通るような歌声と音色で一曲目を終えると「私は生まれも育ちもウクライナです。私の演奏を通して少しでもウクライナを感じて頂けたらと思います」。ウクライナの民族衣装を纏いウクライナを想いながら演奏されるナターシャさんの姿に、平和が尊いものだと教えられました。
     アンコール曲は湯川が作詞をした『幸せをありがとう』を演奏されました。ナターシャ氏の祈りが世界に届いてほしいと、会場中が想いを馳せる会となりました。ナターシャ・グジー氏、有難うございました。
     ナターシャ・グジー氏の木曜塾にて皆様から頂きましたウクライナへの募金(51,193円)は、湯川れい子音楽事務所・オフィスレインボウを通じてWFP(国際連合世界食糧計画)へ寄付をさせて頂きましたことをご報告申し上げます。皆様の温かいお心遣いとご協力に深く御礼申し上げます。

  • 20235/11Thu
    第4回

    江原啓之

    (作家/オペラ歌手)

     第四回目の木曜塾は江原啓之氏です。江原氏の絶大な人気は健在で2階会場は満員御礼となり、心苦しくも3階スクリーン会場も使用し開催されました。当時ご活躍されていた江原氏が何故テレビから去ったのか、現在どのような生活をしておられるのか、ざっくばらんにお話し下さいました。
     江原氏曰く、一線で活動中にスピリチュアルカウンセラーなどが山ほど出てきて世論からも叩かれ、死後の世界の話や科学的に証明出来ないスピリチュアルなものはテレビでは御法度になり、その頃に朝の情報番組から占いや血液型診断が無くなったそうです。少し寂しそうな悔しそうな表情でそう話された後「ですが皆さんどこかで命や心を求めている。今、私は岡山の大学で若い世代の人達にスピリチュアルを語っています。魂の話や人は何故生きるのかという話を学生達は食い入るように耳を傾けてくれます。今またスピリチュアルの世界が戻ってきています」江原氏は穏やかな口調でにこやかに語って下さいました。
     湯川との対談では、湯川の最愛の姉が亡くなる前に交わした「あの世がどんなところかお知らせするね」という約束があるけれどまだお知らせが来ないと話す湯川の問いかけに、亡くなられた方と通信を取りたい人にほど来ないと江原氏は答え「死ぬことより生きることの方がずっと大変です。現世で体があるから病気があり、食べていく為に仕事をしてそこにまた苦労がある。あの世は何の苦しみも無くすごく楽なところ。あの世に想いを馳せると憧れが強くなってしまう」姉からのお知らせが届かないと嘆く湯川を諭しながら「記憶を消されて覚えていないだけで、お会いしたい方とはちゃんと夢で会えています」江原氏がそう話されると優しい空気が会場を包みました。
     「今日が最後の日だとしても充実させないといけない。私の座右の銘は『ぼやぼやしてるとすぐ死んじゃう』です。素直に自分の求める生き方をしてみて下さい」江原氏は笑顔で話され会場も笑い声で溢れました。
     20数年来の友人である江原氏と湯川の対談は、当時の思い出話から現在の日本や世界情勢の話まで幅広く、時にとある著名人の面白い話を盛り込みながら時間を忘れるひと時となりました。定刻を20分過ぎても尚聞き足りず、嬉しいことに湯川の一声により来年のご出演もご快諾して頂きました。次回の江原氏の木曜塾も是非ご観覧下さい。

  • 20234/13Thu
    第3回

    ウー・ルーチン(呉 汝俊)

    (音楽家/俳優)

     第三回目のゲストは京胡王子こと、京胡演奏家であり京劇俳優のウー・ルーチン氏。今回、会場(スペース天夢)がリニューアルされ、新たに黒く塗られた空間で開催されました。その中で真っ白な衣装を身に纏い演奏されたウー氏のステージは圧巻でした。
     ウー氏と湯川の出会いは30年ほど前の鹿児島の山の中だったとのこと。たまたまご縁を頂いた鹿児島のお寺で、湯川の息子(現社長の田村有宏貴)が歩き遍路をしたことがきっかけで、感謝の意を表してそのお寺に毎年8月に音楽を奉納していました。まだ奉納し始めて数回の時、何故かそこにウー氏がいたそうです。その年の正月にウー氏が中国で行った新京劇の映像を観た湯川が感動し、どうにかしてウー氏のことを日本に広めなければ!と強い使命感を抱き、東京の音楽関係者を集めてウー氏をお披露目しました。そんな中、手を挙げて下さった方が当時avexというレコード会社を作られた依田巽氏でした。依田氏はウー氏をavexからデヴューさせ、『It's for you』というアルバムがクラシックのチャートで3位という大ヒットを記録したのです。
     ウー氏が演奏されている京胡という楽器は、その音色が人間の声に一番近いとされており、京劇の主役の主旋律と一緒に歌いながら演奏するもので、弦は2本と少なく音域も狭く、作曲家や演奏家にとって非常に難しいのだそうです。
     ウー氏は湯川への感謝の想いと共に、今でも大事にしている奥様からの「これからあなたの音楽と芸術性が、世界に広がっていくのよ」という言葉があったから、今でもこうして活動できていますと語って下さいました。日本にいる華僑の方々にとってウー氏はスターであり、平和の架け橋として日本と中国の両方で活躍してほしいという湯川の願いに「そうなりたい、そうで在りたい。」とウー氏は笑顔で応えて下さいました。
     ご自身がいつも着けられているエイトスターについて「これは本当に宝です。私はこのダイヤが大好きで、これを着けていると自信が溢れてくるのです。本当にお世辞なしにこのエイトスターの指輪を着けていないと不安になるほど、私にとっては大事な宝物です」と、ウー氏はニッコリとされ、湯川と談笑を交わされました。
     アンコール曲の旋律が止むと、一瞬の静けさの後にスタンディング・オベーションの拍手が会場に鳴り響きました。ウー氏による繊細な演奏で素敵な夜となりました。有難うございました。