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第37回目の木曜塾は、「優れた音楽の紹介者であり、ご自身がお好きな音楽を深い理解力と知識で紹介して下さる魅力的な解説者」と湯川が評するピーター・バラカン氏をお迎え致しました。
週4本のラジオやテレビ番組をお持ちでご多忙の中、湯川のたっての願いに応えてご出演下さり、スペース・ステラでのDJタイムが実現致しました。バラカン氏の音楽観に心酔されているファンの方々は、生のDJを目前に青春時代を回顧されるご様子でした。
イギリス人のバラカン氏の生活の拠点が何故日本なのか?そのストーリーからトークがスタートしました。語学が得意でラテン語や古代ギリシャ語を高校までに学び、挑戦の意で大学の専攻に日本語を選びます。「今考えると縁があったとしか思えない。何か宿命的なものを感じます」とお話されました。卒業後、勤務先のレコード店で、日本での2 , 3 年の仕事の求人を紹介した音楽業界誌を見て応募し、来日されました。「あれから、まさか50数年後にまだいるとは!」と感慨深げのご様子でした。職場恋愛で日本の女性と結婚され、現在はお孫さんもいらっしゃいます。求めに応じて、ほぼ毎週末に日本のどこかに出かけ、出前DJをされているそうです。「音楽を人に聴いて頂くことが、僕の使命のようなものなので、呼ばれたら、もう喜んで行くわけです」と熱く語られました。
ご自身がお好きな、推薦する曲をパソコンに収録され、常に持ち運ばれていらっしゃるのでしょう。DJ最初の曲、ブルース・スプリングスティーンの「Streets of Minneapolis」を流し、曲の本旨を紹介下さいました。先月ミネアポリスの街で起きた国による暴力的な弾圧への抗議として作られた曲で、制作は5日程度という、デジタルの世ならではの早さで行われたものです。世の中で起きていることの酷さに「人類のお先は真っ暗じゃないか」と感じるバラカン氏は、抗議する音楽の存在に救われ、それらの曲を積極的に番組等で選ぶことで応援しているそうです。次に、同じく昔からこのような抗議の声を曲にしているニール・ヤングの「Ohio(オハイオ) 」が流れます。州立大学のベトナム反戦デモの学生に州兵が発砲し4人が死亡した事件を題材にした曲で、こちらも録音後1週間で発売されたそうです。「起きてることに声を上げるということはすごく大事なことだと思います」と強調されました。ご自身が審査員を務めておられる高校生の英語スピーチコンテストで、女子高生がスピーチした「黙ると相手の思うつぼになる。私には何の権力も影響力もないけれど言葉はある。何も話さないよりは、自分が思っていることを、声を上げて言った方がましだ」という一節を紹介下さいました。続いて、「私の番組でもなければ誰もこの曲はかけない」と仰って、平和というのは自分から始めるもの、というメッセージを込めたサブデューズというバンドの「One Word ( Peace)」を紹介。聖書にある「人に対して、自分がされたくないことを人に対してしない」を自身に言い聞かせている言葉として引用され、最後に「皆がこれをやっていれば戦争なんか起こりっこない」と明言されました。この後も、弦楽器ウードによる器楽曲、アヌアル・ブラヒムの「永遠なるオリーブの木」(永遠なるオリーブの木は平和の象徴)、ソウルシンガーのアル・グリーンによる「To Love Somebody」、ゴスペルの世界での大御所メイヴィス・ステイプルズが歌った「We Got to Have Peace」。ドン・ウォズのバンドによる、この国は私の国でもあるという強い主張を持った曲「This Is My Country」。ジミー・クリフ主演の映画「The Harder They Come」の中で彼が作った曲の一つ「Many Rivers to Cross」(これから多くの川を渡っていかなきゃいけない、いろんな試練が残っているという、名曲中の名曲) 等々、滅多に聞くことのできない貴重な曲をご紹介下さり、最後には、湯川の音頭でバラカン氏による日常英会話のレッスンが行われ、お開きとなりました。一貫して平穏に語られるバラカン氏の口調からは「平和を心から願う」音色が流れていました。
ピーター・バラカン氏、メッセージある貴重な曲とお話を誠に有難うございました。
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新春、初頭の木曜塾は恒例となる大德寺昭輝氏をお迎え致しました。湯川の紹介スピーチがきっかけとなり、大德寺氏の稀有な存在、その使命を改めてお話する内容となりました。
「作家の芹沢光治良先生が病の床に伏しておられたその枕元で、‘まだまだ寝てはいけない、まだ書きなさい’と声が聞こえ、その後芹沢先生の前に現れたのが神様の使命を持った19歳の大德寺先生だったんです」という湯川の紹介から始まりました。それに応えられるかのように大德寺氏は、「芹沢先生にお手紙を書いて、お会いしたのは先生が89歳の時でした。それから96歳まで7年間書き下ろしをなさったのです。私は当時苦学生で、アルバイトをしている時に突然、声が聞こえて、‘芹沢光治良に会いに行きなさい’と言われました。お会いしたことも無い先生にお会い出来たのは、いろんなご縁を頂いて、見えない所で何代にも亘って準備がされていたおかげです」と当時を回顧し、お話されました。(※病床の芹沢光治良先生は、物言わぬ神の言葉を文章にする使命で命を授けられ、毎年1冊ずつ、神シリーズと人間シリーズを計8冊書き上げる。その著書の中で大德寺氏が天からの使命を担う伊藤青年として登場する)
エイトスター・ダイヤモンドを幾つかお持ち頂いている大德寺氏ですが、その輝きを心から大切にして下さり、当日も舞台上でお話をされている間、手が動く度に指輪から放たれるエイトスターの輝きは神々しささえ感じました。お話は当日湯川が身に着けていたエイトスター・ダイヤモンドのネックレスへと移りました。
「これを見た瞬間、すごいエネルギーを感じました。これは田村さんの形見ですね。田村さんは恥ずかしがり屋で、ずっと服の下に着けていたエイトスターだったんです。形見はすごい力があります。亡くなった方は、霊界から皆さんを守っています。だから皆様、そういう方に‘有難う’って、朝起きたら言って頂きたいです。
朝は一番清らかだから。時間が経つと、悩んだり、不安になったり汚れて来ます。最近、皆さんにお勧めしているのは朝の散歩です。部屋の中に閉じ籠らないで、5分でもいい、公園でも庭でもいいです。水の世界にご挨拶する、木の世界にご挨拶する、そういう気持ちでちょっとお散歩すると、とっても運が良くなります。水や木などには霊が宿り依代(よりしろ)になっています。人間はエネルギー体ですから、亡くなってもその霊が守っています」と話されました。そして、「ある時、夢に神々が現れて宝を頂きました。そして私は悟りました。私は45年、教祖から学んでいたその教え、考え方が宝だと。悩んでいる方、苦しんでいる方、病んでいる方々を助けるために、この頂いた天の宝を皆さんの為に使いたいと思ったんです」と使命について語られました。
「宗教の時代は終わり、信仰の時代が始まります。‘全て大自然は神なり’と書いたのが芹沢先生です。今年は丙午、全てが明らかになる時代です。丙は太陽、日の光です。午は南です。だから、今年は大きな太陽、真っ赤に燃えた太陽です。元旦の朝5時、天皇陛下は装束を着用され、‘皆さんの苦しみ、悲しみ、この世の天災、人災、全て我が身に代えてお救い下さい’と祈られます。この国は祈りの国。祈りの国の天皇陛下は国民と呼ばずに大御宝と呼びます。言霊です。私は、1月の歌会始が楽しみです。日本の歌というのは須佐之男命が歌ったのが始まりです。日本は、歌の理なんです。教祖の中山みき様(通称:親様)は‘歌の理でこの世を変えろ’と仰います。‘歌の力により、この地上を救う’と仰ったのは中山みき様しかいません。御筆先(おふでさき)は全部歌です。十二下りも全部歌です。本来、日本の国というのは全部歌です。一番初めに、須佐之男命が‘八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を’と歌う。我が妻をこの垣根によって絶対守ってやるという歌です。家族を守る歌ですね。だから天皇陛下は必ず、1月の宮中歌会始にまず歌を歌われるわけです。湯川先生が作詞家として、歌の力で人々を救い、藤井風さんも歌の力で救う。歌は見えない御霊の世界です。そういう歌を表現できる方って素晴らしいと思います。皆様も是非、ご家庭で、ご主人様と歌でお話ししてみて下さい!」とにこやかに締められました。大德寺氏、貴重なお話を有難うございました。
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2025年12月、この年最後の35回目木曜塾はデヴィ・スカルノ氏をお迎え致しました。
「インドネシア建国の父と呼ばれるスカルノ大統領とご結婚。後にクーデターにより大統領が失脚、亡命生活を強いられます。そのような環境下で、愛する身内を失いながらも生き抜いて来られた方です」との湯川の紹介で、デヴィ夫人がご登壇されました。湯川との対談前に、今に至るデヴィ夫人の軌跡を約20分の映像でご覧頂きました。
「フィルムを拝見して、生きるというのは地獄だと思うこともありますけど、そんなスケールのものではありませんね…」という問いかけに、デヴィ夫人は「私はいつも、人生は戦場、私は戦場の一戦士と捉えています。戦後、お家の裏が、ハーディー・バラックスと呼ばれるアメリカ兵の駐屯地になり、小さい時から外国人を沢山見て育ち、彼らが話す英語に憧れました。自分で勉強して、知らない外国人とペンフレンドになりました。英語って書くと凄く覚えるんです。中学生の頃、英語はクラスで一番でした。私が大統領にお目にかかった時、別に、若く綺麗でピチピチしていたわけじゃなくて、英語で会話ができ、その後、大統領と文通を致しました。それが私の運命を変えたんじゃないかなと思うんです。私は母の手伝いをすることが多くて、人の3倍勉強して、人の3倍働いて、人の3倍の努力をして、人の3分の1の睡眠で来ました。今でもそうです。病気をしたことはないです。病気になって休むことは私にとって贅沢なことだったんです。中学を卒業後就職し、お昼休みの1時間は近くの喫茶店で、土日は銀座でアルバイト、夜は三田高校に通いました。夢は見るものじゃなくて、夢はつかむもの。やっぱり努力次第で、何でもつかめます。私の好きな言葉は‘なせばなる なさねばならぬ何事も’努力次第です」と、淡々とお話される姿に、参加者の方々はあっという間に引き込まれて行きました。
ワンニャン平和党を掲げての参議院選挙への出馬についてお話をされました。真の動物愛護を掲げるデヴィ夫人は「ブリーダーが飼う頭数、犬舎の大きさ、獣医師との連携の有無、6ヶ月間売れなくても経営できる資本の有無、いろんな条件を満たした人だけがブリーダーになる許可を得られるようなライセンス制にし、犬猫を飼う人、保護する人、里親になる人も登録制にする」といった政策を実現することに真剣に取り組まれて来られました。これを立法化するために国会での決議を得ようと参議院選挙への出馬を考えますが、日本国籍への帰化承認が間に合わず願いは叶いませんでした。
最後に、「気」についてお話しをされました。「人間は誰しも気ですね。英語でWill Powerって申しましょうか。高級な病院で帝王切開で生まれても、公園のトイレ
で臍の緒をつけて生まれて捨てられても、その赤ちゃんに生きる気、生気がないと死んでしまい、生気があれば生きます。体内から気が失せること、これが‘死’です。前の日、気が重い、気が乗らない、意気消沈する、やる気がない、気が抜けるような人は、翌日は気を取り直して、気持ちを変えて、元気に、やる気になって気合を入れる。気をつけていれば事故に遭わないかもしれない。気配り、気遣いがあれば夫婦喧嘩をしないかもしれない。嫌気、色気、陰気、内気、悪気、英気、気質、寒気、気楽、気圧、気丈、気骨、気管、気絶、気分、気前、空気、気力、狂気、血気、和気あいあい。あの人は気立てが優しい、あの方は気品がある、あの人は勇気がある、あの人は本気だ、あの人は何言っても平気な顔をしている」と気に関する言葉を挙げられました。
「私は気を立てて生きてきました。皆さんもぜひ気を立てて生きて下さい。毎日ワクワクした生活をしている方は、それが肌に出てきます。笑う門には福が来るって言いますよね。何歳になっても新しいことを発見できる人は、いつまでたっても若くおられます。そして、一日に十回は感動して下さい」とメッセージを残されました。
強く、厳しく、そして優しさが伝わってくるヒストリーは、ブレることのない本物人の生き様でした。デヴィ夫人、有難うございました。
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第34回目の木曜塾は、テノール歌手のジョン・健・ヌッツォ氏をお迎え致しました。
「人間の声があんなに人を感動させるって…。声そのものが人を感動させるんですね。今夜はそんな声を贅沢に…」と湯川がゲストにお迎えしたのはテノール歌手のヌッツォ氏です。「東京生まれアメリカ国籍のヌッツォ氏は、お父様がイタリア系アメリカ人、お母様が日本人です。木曜塾初のアメリカ人登場です!」との湯川の紹介に会場内には和やかな笑い声が起こりました。
湯川との対談が始まり程なくして、作曲家の三枝成彰氏がヌッツォ氏について「いやー、日本にもすごいのがいるんだよ」と称した話になると、ヌッツォ氏は「じゃあ急に行きますよ!」と“アメイジング・グレース”をアカペラで歌って下さいました。会場内は大拍手が響き、興奮も冷めないまま対談は続きました。「アメリカっていろんな人がいるから僕は楽なんです。行くとホッとする。もう日本人でもアメリカ人でもメキシカンでも何でもいいみたいな。でも、ダウンタウンに行くと、ギャングの闘争があるんです。一番怖かったのは1992年のロスの暴動。戦争って本当こんなだろうなって思い、ロスを離れて仕事で大阪に来ました。大阪はオープンでラテンな感じで癒され、楽しかったです」その後、ご自身の今に至る歌の経歴を短くまとめてお話されました。
「ハイスクールの時に少年合唱団に入っていて、ミュージカルやロックバンドで歌ったり、DJもやりました。ビジネス専攻で大学に入学したけれど、歌いたいと思いコーラスのオーディションを受けました。後にテノール製造機みたいな先生に師事することになり、ドイツ系のシューマンとかシューベルト、イタリア歌曲から始まりオペラを歌うようになりました。アルバイトとして教会で8年間歌っていましたが、教会のミサ曲はオペラとは違い教会の響きが大好きで、その響きで自分の声を聴きました。そして2000年にウィーン国立歌劇場に入れたんです。パヴァロッティやクラウスやオペラの最後のゴールデンエイジの人たちと出会えました。コーチングされているかのように、彼らの歌を毎日聴いていました。ドミンゴと歌劇「真珠とり」でデュエットし、彼がテノールからバリトンに転換していた時で、彼がバリトンを歌い僕がテノールを歌いました。その後帰国しましたが、音大を出ていない僕は相手にされず歌う所がありませんでした。盛岡で開催されたコンクールでウィーンに行くチャンスがあり、ジャッジがイタリア人、フランス人、ドイツ人でしたから、ただ❛音だけ❜でウィーンに行けたのです。ウィーン、ハンブルグを始め、ドイツ各都市でオーディションを受け、オーディションというものを覚えました。ザルツブルグ音楽祭でデビューをして、指揮者で音楽監督のレヴァインに見い出され、僕の最後のゴールであるメトロポリタンニューヨークデビューしました。音楽を通して僕は世界がもっと見たいというのが本当の気持ちです」とお話され、いよいよ数曲を熱唱下さいました。NHK大河ドラマのメイン・テーマ“新選組”、“オー・ソレ・ミオ”、オペラのトゥーランドット“誰も寝てはならぬ”を歌われました。会場は素晴らしい時空となり、本当に大きな感動に包まれ、ブラボーの声と拍手が鳴りやみませんでした。
ジョン・健・ヌッツォ氏、本当に素晴らしい歌声を有難うございました。
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第33回目の木曜塾は、シンガーソングライターでマルチミュージシャンの原田真二氏をお迎え致しました。心配されていた台風の襲来もなくなり、会場には多くのお客様がお越し下さいました。原田氏は、特に平和と環境について種々の発信をしているNPO法人で湯川がご一緒してきた仲間でもあります。
「昔から原田真二さんが大好きだったっていう人、手を挙げて下さい」との湯川の声に、お客様は多くが女性でしたが、その大半の方が手を挙げられました。湯川との対談は、原田氏が新人オーディションのデモテープ作りのために、教師であるご両親を説得して修学旅行をお休みしたという話題から始まりました。既にミュージシャンとしてのレールをしっかり決めていたという覚悟がひしひしと感じられました。デビュー当時にアイドルとして一世を風靡した原田氏も、今年10月で48周年を迎えられました。アイドル時代には今からは考えられないような(ストーカーもどきの)ファンの方々のお話や、自分のバンドでのテレビ出演が珍しい時代故の歌謡界の方々との軋轢、ロックアーティストとしての確固たる気概を持ち、古い時代の確執を切り開いてこられたお話に、会場からは「素晴らしい!」の声と拍手が起こりました。
広島出身の原田氏は、中学の頃から広島のことをどうしても伝えたいという思いがあり、最初のデモテープの詩にも、当たり前のように平和への思いが込められていました。『好きな音楽を聴いて元気になり、優しい気持ちになった方々がコミュニティにどんどん増えてくれば、そのコミュニティは平和になる』。そんな夢を描いた原田氏には、歌で世界を平和に出来ないだろうかという思いがごく自然にありました。その音楽活動の姿勢が、しばしば国連の色々なレベルの会議やフォーラムでメッセージを発信したり、歌唱する機会を得たようです。そんな原田氏が今一番憂えていることが、ウクライナやガザでの争いで犠牲になっている未来を担う子供たちの状況です。お話はこんなメッセージで締めくくられました。「どうか皆さん、自分に力が無い等と思わないで下さい。もしかしたら微力って思われるかもしれませんけれど、微力は無力ではないんです。微力が何千万と集まると、とてつもない巨大な力になります。どうか皆さんの力を信じて下さい。お一人お一人の力が非常に大きい。是非、声にして頂きたいと思います!」
熱い呼掛けに会場の興奮の冷めやらぬ中、キーボードに向かった原田氏は、ご自身のキャリアの中で非常に大きなものと仰る八王子市立下柚木小学校校歌「下柚木の丘はいつだって」を聞かせて下さいました。「子供たちは我々の未来」という原田氏の想いが盛り込まれた歌です。続いて大ヒット曲「キャンディ」を歌われると、手拍子と共に「真二!」の掛声で会場内の熱気はピークに達しました。
「人間が、子供たちが、笑っているのを見ていたい」と心からの想いを言葉にされて「The Children Of The Earth」を歌われました。次にギターを持ち、今年8月6日に広島でのピースウォークで歌われた「青くきれいな星のために」を練習後に会場と掛合で歌われました。最後に総立ちとなったお客様達と「てぃーんず ぶるーす」、再びキーボード演奏で大ヒット曲「タイム・トラベル」を熱唱下さいました。青春を彷彿とさせる熱く燃えたひと時でした。
原田真二氏、心に響くメッセージと素晴らしい演奏と歌を有難うございました。
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第32回目の木曜塾は、1983年から1996年にかけて日本で最も成功した5人組ガールズバンド、プリンセス プリンセス(以下プリプリ)のリーダー/ベーシストとして活躍された渡辺敦子氏をお迎え致しました。当日は夕方より激しい雷雨という天気予報にも拘わらず、大勢の参加者の方々にお集まり頂きました。
湯川がその人となりを「肝の据わった大きな人」と評する渡辺氏。親しみを込めて「あっこちゃん」と呼ぶその関係は、湯川が長年名誉学校長を務める専門学校に、30年程前に渡辺氏が講師として着任されてより長きにわたります。渡辺氏をステージ上にお迎えして湯川が開口一番「何を聞いても、隠し事がない人なんです」とご紹介して、お尋ねしたのは年齢。昨年還暦を迎えられたという言葉に、会場からは驚きのどよめきがおきました。
中学から始まったという音楽歴のお話は、武勇伝をお聴きするような物語でした。高校卒業時に女性バンドとして一般公募で集められたプリプリの前身の赤坂小町結成時は、オーディションの応募条件が、アイドル全盛時代だったので、もちろん歌えることでしたが、ショートパンツかミニスカート着用だったそうです。時代を考えると、突拍子もない条件だったかも知れません。審査会終了後の懇親会では、スタッフの方から「渡辺さん、ギター弾ける?」と聞かれた際に、本当は3つくらいしかコードを弾けなかったのに、すかさず「弾けます!」と応えてしまったという渡辺氏の熱弁に会場は盛り上がりました。「あっこちゃんの“あ”は当たって砕けろの“あ”」とご自身を評するお話は、肝が据わった一端を垣間見るようでした。バンドの夢である武道館ライブを実現した際の具体的な方法や東日本大震災復興支援のバンド再結成のお話、現在校長を務める東京スクールオブミュージック&ダンス専門学校や親友と立ち上げた児童発達支援・放課後等デイサービス「ダイアキッズ」のお話の数々、ご自身が歩まれて来られた道のりでの逸話を包み隠さずご披露下さいました。
最後に「大人になっても頑張ればやれないことはない」と仰り、大好きな言葉としてブルース・リーの「水のようになれ」を引用されました。「水のように柔軟にしなやかに、無理をし過ぎず自分らしく生きて、自分自身を信じて好きなことを皆さんもやって下さい。またお会いする日を楽しみに私も頑張ります」と締めくくられました。
お話に続いてはライブステージ。最初の曲はベースによる見事なスラップ(指で弦を叩き付ける等)の奏法をご披露下さり、続いて「是非皆さんも歌って下さいね」と声をかけて「世界でいちばん熱い夏」を歌われ、最後に、「私にとっていつも心にダイヤモンド、還暦を超えてのダイヤモンドだと思います。そして、私にとってれい子さんはダイヤモンドです!」と、首に着けたネックレスを手で持ち上げて、「これエイトスターのダイヤモンドなんです。もう20年くらい前から持っていますが、このダイヤモンドを胸に、あと1曲、皆さんも歌って下さい。❛ダイヤモンド❜です!」と名曲「Diamonds」をベースを奏でながら歌って下さいました。会場中から盛大な声援と拍手、そして、あっこちゃんコールが送られました。
渡辺敦子氏、大変心惹かれるお話と素晴らしい演奏を有難うございました。
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第31回目の木曜塾は、8月の2週目がお盆の時期と重なることから、第4週目の開催となりました。8月は、湯川が人生の大半をかけて関わってきたエルヴィス・プレスリーの命月ということもあって、メインゲストにエルヴィスと所縁の深い尾藤イサオ氏、そしてサプライズゲストに青森のプレスリーこと土岐豊一氏をお迎え致しました。
尾藤氏と湯川の最初の出会いは60年前。エルヴィスを歌うと、とにかく凄く上手い子が出てきたという話を聞いて、湯川がジャズ喫茶に聴きに行ったのが最初でしたが、その時既に尾藤氏はロカビリーのスターでした。
実は、父親は百面相や形態模写を得意とした落語家で寄席芸人、母親も芸人という環境に尾藤氏は産まれました。3歳の時に父親が亡くなり、家計を助けることもあって、小学5年生で太神楽の曲芸師の内弟子となり活躍します。否応なしに芸を磨く日々の中でエルヴィスと衝撃的な出会いをします。それは、ラジオから流れたエルヴィスが歌う“Heartbreak Hotel”。13歳の尾藤氏のハートを鷲掴みにしました。当時、年季奉公の最中だった尾藤氏は、曲芸に併せてエルヴィスの曲をかけながら、兄弟子と「ロカビリー曲芸」を実演したそうです。16歳の頃には「ジャパニーズ・スペクタキュラー」公演団の一員として米国巡業に同行、1959年のクリスマス・イブはアメリカの人気テレビ番組「ダイナ・ショア・ショー」へも出演しました。歌手としては、18歳の時に作曲家すぎやまこういち氏の紹介でデビューしますが、デビュー曲は売れず、その2年後、イングランドのロックグループ、アニマルズの“悲しき願い”をカバーで歌い、予想外の大ヒットとなります。そんなお話の成り行きで、「ちょっと歌って!」という湯川のリクエストに応えて歌って下さいました。アニマルズのヴォーカリストのエリック・バードンがコンサートで来日した折、前座を務める尾藤氏が歌い始めると、楽屋にいたエリック・バードンが余りの上手さにびっくりして、飛び出して尾藤氏が歌うのを見に行ったという話を湯川から初めて聞かされて、舞台上で尾藤氏は大感激されていました。
そして、尾藤イサオ・オン・ステージの開演です。“All Shook Up”“Teddy Bear”“Don’t be Cruel”をメドレーで、続いて代表曲“Heartbreak Hotel”を日本語歌詞を交えながら歌い、「昔はロカビリーで頑張っていました。今はリハビリで頑張っております」と笑いを誘い、“Hound Dog”“監獄ロック”で会場を興奮の渦で満たしました。アンコールは代表曲“あしたのジョー”、最初のヒット曲“悲しき願い”。湯川も会場の皆様も感極まっていました。尾藤氏が退場されて会場内は少し暗転。
予告無しでお迎えしたサプライズゲスト、青森のプレスリーこと土岐豊一氏の登場です。頭のてっぺんから足先までエルヴィスそのものの出で立ちに、会場からは歓喜の声が上がりました。アメリカで開催されたエルヴィスそっくりさん世界大会で、なんと5位の方です。先ずは“Unchained Melody”、続いて土岐氏が大好きな“An American Trilogy”を、まるでエルヴィスの再来かのように歌って下さいました。勿論、会場からのアンコールの声もあって、エルヴィスの一番有名な曲“Can't Help Falling in Love”で締めて下さいました。「泣かされちゃった。幸せでした!有難うございました!」と湯川。終演後も会場内の熱気は冷めやらず。本当に湯川ならではのスペシャルな時空の一夜となりました。
尾藤イサオ氏、土岐豊一氏、幸せな時間を有難うございました。
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第30回目の木曜塾は、ロックバンド『ゴダイゴ』のリーダーであり、キーボード奏者として大変著名なミッキー吉野氏をお迎え致しました。当日は天気予報通り、開演時間を目掛けて激しい雷雨が襲いましたが、キャンセルされる方もほぼ出ず、会場一杯の参加者の方々をお迎えしての開演となりました。
「日本の宝のような方」と湯川が評するミッキー吉野氏。大ヒット曲“ガンダーラ”が生まれたのは47年前ですが、ゴダイゴのほぼ全曲にわたって編曲を担当されていました。飛んだ話をして欲しいとの湯川のリクエストで、ミッキー吉野氏は滅多にはされないお話をして下さいました。
小中高と学校には余り行かなかったと仰るミッキー吉野氏。この事がある意味で功を奏したのでしょうか? その後、アメリカのボストンにある世界的に有名な音楽大学、バークリー音楽大学に入学されます。ここでは音楽理論や作曲、演奏技術、音楽ビジネス、音響技術等、様々な音楽に関連する専門分野を学ぶことができ、プロの音楽家や音楽業界のリーダーを数多く輩出しています。学校へ行っていなかったので、普通の勉強の仕方が分らず、前に進むためには、自分で考えて自分なりの答えを見つけて行くといった学び方が、結果、とてもユニークな視点・考え方を身に着ける素地となったそうです。何がきっかけになるのか、人生は計り知れません。「自分で考え、自分なりの答え」とはどのようなことか、例を挙げてお話下さいました。
ルイ・アームストロングの代表曲“What a Wonderful World=この素晴らしき世界”。「皆さん、素晴らしい世界って何でしょう。わかりますか?」「実は、この英語を分解すると簡単なんです。Wonderfulを分解してful(l of) wonder(フル・オブ・ワンダー)とすれば、不思議一杯の世界がWonderfulなんです」。
続いては、大変興味深いダイヤモンド(DIAMOND)のお話。「Dから始まってDで終わり、一周すると円になる。更に真ん中にあるMはアルファベット26文字の真ん中の文字で、文字自体が強いものを持っている」という紐解き。湯川を始め会場から感嘆の声がもれました。限りある誌面ではご紹介できないお話は、英字から始まって漢字や数字、またそれらの組み合わせの数々等、尽きぬ泉のようにご披露下さいました。
終盤は勿論、キーボードに向かわれ、お話をはさみながらのショータイムです。
先ずは、即興演奏で“椰子の実”。「グレン・ミラーと島崎藤村、一緒に曲を作ったらどうなるか」といった自由な発想から紡がれる、心地よく軽快な演奏に、会場はうっとりした雰囲気に包まれました。続けて、“Wonder, Understand”。更に、グループ『ザ・ゴールデン・カップス』時代の曲“愛する君に”。皆さんお待ちかねの西遊記から“ガンダーラ”。「歌、下手ですからね、僕」と謙遜され、語りかけるような歌唱をご披露下さいました。“ガンダーラ”がヒットしなければ解散していたかもというお話の後は、“ビューティフル・ネーム”を会場の手拍子と共に演奏頂きました。
終演時間が迫る中、湯川からのアンコールを受けて、“銀河鉄道999”を歌って下さいました。本当に贅沢なひと時でした。ゲリラ雷雨にも負けずお集まり頂いた参加者の方々の熱い歓びの余韻がいつまでも会場内に残っていました。
ミッキー吉野氏、飛んだお話と素晴らしい歌を有難うございました。
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第29回目の木曜塾は、様々な才能をお持ちのお二人、赤坂泰彦氏とグッチ裕三氏をお迎え致しました。冒頭、「今日は、笑い皺が増えて帰ることになります」との湯川の紹介で、まずは赤坂泰彦氏にご登場頂きました。赤坂氏と40年来の思い出話に花を咲かせた後、「この方のご紹介は、是非、赤坂さんに!」との湯川のリクエストに応えて、「最近はゴルフクラブも振ればフライパンも振れる。厨房から直行です。Ladies and Gentlemen、グッチ裕三!Come on, look at it!」と赤坂氏の名調子。グッチ氏がフライパン・マイクを持ち、“ボラーレ”を歌いながら会場内に登場、盛大な拍手の中、舞台へ上がられるや否や、会場内を一気に盛り上げました。
グッチ氏:元気ですかー!
会場:イェーイ!
グッチ氏:僕は無理してます~
偶然にも、お二人のお父様方は同じ船会社にお勤めだったのですが、お二人は出会った瞬間にソウルメイトだとお互いが感じられたそうです。大好きな音楽も50~60年代のR&Bやロックンロール。仲の良さを感じさせるお話を披露されました。湯川が、掛け合いトークが面白いと絶賛してゲストにお呼びしたかったというお二人です。笑い絶えない爆笑トークの中からご紹介します。
グッチ氏:事務所の後輩の〇〇きよし君(実名でした!)、すごい優しくてね。お年寄りにすぐ声をかける。「おばあちゃんはお元気そうで、おいくつですか?」って言うはずが「おいくらですか」って‼ 天然にはかなわないな。
赤坂氏:某芸能人の奥様が、よその新築のお宅を見て、「良かったわよ。2車線住宅」更に、「そこの息子さん、アメリカにホームレスに出すんでしょ?」
それから、(その奥様が)旦那様と大喧嘩をした時に台所で出会い頭、「どいて」って言うつもりが「抱いて」って! どういうきっかけで二人はお付き合いしたのか聞くと、「私が、最初にローションかけたのよ」
グッチ氏:あの人とは真面目に話しができないんだよ。
延々と続く実名入りの掛け合いに、最後まで笑いが止まりませんでした。その後もお仲間同士で仕掛け合ったドッキリの話、韓国の温浴施設に行った時に、ロッカーだと思って脱いでいたら靴箱の前で事件になった話等に続き、料理家であるグッチ氏から、古古古古米の美味しい食べ方の話へと移りました。もち米は5%くらい、お酒大さじ1、ハチミツ小さじ1、この3つを入れたことがバレないようにやると美味しくなるそうです。
最後は、グッチ氏によるショータイムです。
赤坂氏:Ok now! Are you ready?
会場:Yay!
赤坂氏:Get it on!
グッチ氏による“オンリー・ユー”に酔いしれ、“幸せなら手をたたこう”を会場の皆様と歌いました。「どうも有難うございました! では皆さん、幸せになりましょう! 今日聞いたことは、無かったことにして下さい!」と締められたグッチ氏。笑いが絶えず、皺がたっぷり増えた一夜でした。
赤坂氏、グッチ氏、有難うございました。
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第28回目の木曜塾は、1982年デビューして以来、数々のヒット曲を出されている稲垣潤一氏をお迎え致しました。対談は、43年前に湯川が作詞したデビュー曲「雨のリグレット」の回想に始まり、中々訊き難いというご家族のお話へと続きました。いつまでも変わらないと言う評判の声ですが、過去の楽曲の音と比べると随分と変わってきていること、また、稲垣氏ご自身は余り自分の声が好きではなかったという意外なお話を披露下さいました。
「今日はですね、どんな話をしたらいいのかなって、ずいぶん悩んでこの会場に来たんですけども」と謙遜された稲垣氏ですが、ご自身の生い立ちや、曲の成り立ち等のお話を、人柄が感じられる朴訥な語り口でお話し下さいました。デビュー前、バンドメンバーと住んでいた4畳半のアパートの部屋代が払えずに、電気を消して居留守を装い、2階の部屋の出入りは電柱を登っていたというエピソードには会場が大いに沸きました。予想できなかった稲垣氏の数々のこぼれ話に、参加者の方々も感激の時間となりました。
その後は歌とトークで魅了して下さった夢のような時間でした。一曲目は、東日本大震災発生の年に発表された曲「アンリミテッド」。中学の音楽の教科書に掲載する合唱曲でしたが、この曲を広めたいという制作者たちの強い意向で、稲垣氏に白羽の矢が立ち歌うことになったそうです。
ドラマーとしては、中学三年生の時に本物のドラムセットで生まれて初めてライブを行ったのが中学の図書室でした。校長が大反対したにも拘らず、担任が助け舟を出してくれたお陰でした。情熱が伝われば、理解者は必ずいるものです。
続いて「雨の朝と風の夜に」、レコーディングに一番てこずったという「夏のクラクション」、シングルとして一番セールスした「クリスマスキャロルの頃には」を歌って下さいました。「無口だから、お話、大丈夫かしら…」という湯川の心配を他所に、歌の合間にはモータースポーツへの造詣の深さを熱く語られ、車のCMに使われた曲「僕ならばここにいる」を歌われました。終演時間が間近になった頃、自ら延長を申し出られ、最後に「哀しみのディスタンス」を歌われました。陸前高田で開催された「NHKのど自慢」に初めて出演された折に歌われた曲でした。
「稲垣さんの声、聴いてると涙出てくる。何なんだろう。なんか永遠の少年なのかな…」と言う湯川の感激の言葉はお客様共通の感動を代弁していました。
そして稲垣氏を舞台から見送る時に、突然、稲垣氏の指に輝くエイトスター・ダイヤモンドの話題に変わると、「この指輪をしてから調子が素晴らしい。はい、本当です。正直に」との感想を稲垣氏より頂戴致しました。
稲垣氏、素晴らしい歌声とお話を有難うございました。