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第31回目の木曜塾は、8月の2週目がお盆の時期と重なることから、第4週目の開催となりました。8月は、湯川が人生の大半をかけて関わってきたエルヴィス・プレスリーの命月ということもあって、メインゲストにエルヴィスと所縁の深い尾藤イサオ氏、そしてサプライズゲストに青森のプレスリーこと土岐豊一氏をお迎え致しました。
尾藤氏と湯川の最初の出会いは60年前。エルヴィスを歌うと、とにかく凄く上手い子が出てきたという話を聞いて、湯川がジャズ喫茶に聴きに行ったのが最初でしたが、その時既に尾藤氏はロカビリーのスターでした。
実は、父親は百面相や形態模写を得意とした落語家で寄席芸人、母親も芸人という環境に尾藤氏は産まれました。3歳の時に父親が亡くなり、家計を助けることもあって、小学5年生で太神楽の曲芸師の内弟子となり活躍します。否応なしに芸を磨く日々の中でエルヴィスと衝撃的な出会いをします。それは、ラジオから流れたエルヴィスが歌う“Heartbreak Hotel”。13歳の尾藤氏のハートを鷲掴みにしました。当時、年季奉公の最中だった尾藤氏は、曲芸に併せてエルヴィスの曲をかけながら、兄弟子と「ロカビリー曲芸」を実演したそうです。16歳の頃には「ジャパニーズ・スペクタキュラー」公演団の一員として米国巡業に同行、1959年のクリスマス・イブはアメリカの人気テレビ番組「ダイナ・ショア・ショー」へも出演しました。歌手としては、18歳の時に作曲家すぎやまこういち氏の紹介でデビューしますが、デビュー曲は売れず、その2年後、イングランドのロックグループ、アニマルズの“悲しき願い”をカバーで歌い、予想外の大ヒットとなります。そんなお話の成り行きで、「ちょっと歌って!」という湯川のリクエストに応えて歌って下さいました。アニマルズのヴォーカリストのエリック・バードンがコンサートで来日した折、前座を務める尾藤氏が歌い始めると、楽屋にいたエリック・バードンが余りの上手さにびっくりして、飛び出して尾藤氏が歌うのを見に行ったという話を湯川から初めて聞かされて、舞台上で尾藤氏は大感激されていました。
そして、尾藤イサオ・オン・ステージの開演です。“All Shook Up”“Teddy Bear”“Don’t be Cruel”をメドレーで、続いて代表曲“Heartbreak Hotel”を日本語歌詞を交えながら歌い、「昔はロカビリーで頑張っていました。今はリハビリで頑張っております」と笑いを誘い、“Hound Dog”“監獄ロック”で会場を興奮の渦で満たしました。アンコールは代表曲“あしたのジョー”、最初のヒット曲“悲しき願い”。湯川も会場の皆様も感極まっていました。尾藤氏が退場されて会場内は少し暗転。
予告無しでお迎えしたサプライズゲスト、青森のプレスリーこと土岐豊一氏の登場です。頭のてっぺんから足先までエルヴィスそのものの出で立ちに、会場からは歓喜の声が上がりました。アメリカで開催されたエルヴィスそっくりさん世界大会で、なんと5位の方です。先ずは“Unchained Melody”、続いて土岐氏が大好きな“An American Trilogy”を、まるでエルヴィスの再来かのように歌って下さいました。勿論、会場からのアンコールの声もあって、エルヴィスの一番有名な曲“Can't Help Falling in Love”で締めて下さいました。「泣かされちゃった。幸せでした!有難うございました!」と湯川。終演後も会場内の熱気は冷めやらず。本当に湯川ならではのスペシャルな時空の一夜となりました。
尾藤イサオ氏、土岐豊一氏、幸せな時間を有難うございました。
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第30回目の木曜塾は、ロックバンド『ゴダイゴ』のリーダーであり、キーボード奏者として大変著名なミッキー吉野氏をお迎え致しました。当日は天気予報通り、開演時間を目掛けて激しい雷雨が襲いましたが、キャンセルされる方もほぼ出ず、会場一杯の参加者の方々をお迎えしての開演となりました。
「日本の宝のような方」と湯川が評するミッキー吉野氏。大ヒット曲“ガンダーラ”が生まれたのは47年前ですが、ゴダイゴのほぼ全曲にわたって編曲を担当されていました。飛んだ話をして欲しいとの湯川のリクエストで、ミッキー吉野氏は滅多にはされないお話をして下さいました。
小中高と学校には余り行かなかったと仰るミッキー吉野氏。この事がある意味で功を奏したのでしょうか? その後、アメリカのボストンにある世界的に有名な音楽大学、バークリー音楽大学に入学されます。ここでは音楽理論や作曲、演奏技術、音楽ビジネス、音響技術等、様々な音楽に関連する専門分野を学ぶことができ、プロの音楽家や音楽業界のリーダーを数多く輩出しています。学校へ行っていなかったので、普通の勉強の仕方が分らず、前に進むためには、自分で考えて自分なりの答えを見つけて行くといった学び方が、結果、とてもユニークな視点・考え方を身に着ける素地となったそうです。何がきっかけになるのか、人生は計り知れません。「自分で考え、自分なりの答え」とはどのようなことか、例を挙げてお話下さいました。
ルイ・アームストロングの代表曲“What a Wonderful World=この素晴らしき世界”。「皆さん、素晴らしい世界って何でしょう。わかりますか?」「実は、この英語を分解すると簡単なんです。Wonderfulを分解してful(l of) wonder(フル・オブ・ワンダー)とすれば、不思議一杯の世界がWonderfulなんです」。
続いては、大変興味深いダイヤモンド(DIAMOND)のお話。「Dから始まってDで終わり、一周すると円になる。更に真ん中にあるMはアルファベット26文字の真ん中の文字で、文字自体が強いものを持っている」という紐解き。湯川を始め会場から感嘆の声がもれました。限りある誌面ではご紹介できないお話は、英字から始まって漢字や数字、またそれらの組み合わせの数々等、尽きぬ泉のようにご披露下さいました。
終盤は勿論、キーボードに向かわれ、お話をはさみながらのショータイムです。
先ずは、即興演奏で“椰子の実”。「グレン・ミラーと島崎藤村、一緒に曲を作ったらどうなるか」といった自由な発想から紡がれる、心地よく軽快な演奏に、会場はうっとりした雰囲気に包まれました。続けて、“Wonder, Understand”。更に、グループ『ザ・ゴールデン・カップス』時代の曲“愛する君に”。皆さんお待ちかねの西遊記から“ガンダーラ”。「歌、下手ですからね、僕」と謙遜され、語りかけるような歌唱をご披露下さいました。“ガンダーラ”がヒットしなければ解散していたかもというお話の後は、“ビューティフル・ネーム”を会場の手拍子と共に演奏頂きました。
終演時間が迫る中、湯川からのアンコールを受けて、“銀河鉄道999”を歌って下さいました。本当に贅沢なひと時でした。ゲリラ雷雨にも負けずお集まり頂いた参加者の方々の熱い歓びの余韻がいつまでも会場内に残っていました。
ミッキー吉野氏、飛んだお話と素晴らしい歌を有難うございました。
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第29回目の木曜塾は、様々な才能をお持ちのお二人、赤坂泰彦氏とグッチ裕三氏をお迎え致しました。冒頭、「今日は、笑い皺が増えて帰ることになります」との湯川の紹介で、まずは赤坂泰彦氏にご登場頂きました。赤坂氏と40年来の思い出話に花を咲かせた後、「この方のご紹介は、是非、赤坂さんに!」との湯川のリクエストに応えて、「最近はゴルフクラブも振ればフライパンも振れる。厨房から直行です。Ladies and Gentlemen、グッチ裕三!Come on, look at it!」と赤坂氏の名調子。グッチ氏がフライパン・マイクを持ち、“ボラーレ”を歌いながら会場内に登場、盛大な拍手の中、舞台へ上がられるや否や、会場内を一気に盛り上げました。
グッチ氏:元気ですかー!
会場:イェーイ!
グッチ氏:僕は無理してます~
偶然にも、お二人のお父様方は同じ船会社にお勤めだったのですが、お二人は出会った瞬間にソウルメイトだとお互いが感じられたそうです。大好きな音楽も50~60年代のR&Bやロックンロール。仲の良さを感じさせるお話を披露されました。湯川が、掛け合いトークが面白いと絶賛してゲストにお呼びしたかったというお二人です。笑い絶えない爆笑トークの中からご紹介します。
グッチ氏:事務所の後輩の〇〇きよし君(実名でした!)、すごい優しくてね。お年寄りにすぐ声をかける。「おばあちゃんはお元気そうで、おいくつですか?」って言うはずが「おいくらですか」って‼ 天然にはかなわないな。
赤坂氏:某芸能人の奥様が、よその新築のお宅を見て、「良かったわよ。2車線住宅」更に、「そこの息子さん、アメリカにホームレスに出すんでしょ?」
それから、(その奥様が)旦那様と大喧嘩をした時に台所で出会い頭、「どいて」って言うつもりが「抱いて」って! どういうきっかけで二人はお付き合いしたのか聞くと、「私が、最初にローションかけたのよ」
グッチ氏:あの人とは真面目に話しができないんだよ。
延々と続く実名入りの掛け合いに、最後まで笑いが止まりませんでした。その後もお仲間同士で仕掛け合ったドッキリの話、韓国の温浴施設に行った時に、ロッカーだと思って脱いでいたら靴箱の前で事件になった話等に続き、料理家であるグッチ氏から、古古古古米の美味しい食べ方の話へと移りました。もち米は5%くらい、お酒大さじ1、ハチミツ小さじ1、この3つを入れたことがバレないようにやると美味しくなるそうです。
最後は、グッチ氏によるショータイムです。
赤坂氏:Ok now! Are you ready?
会場:Yay!
赤坂氏:Get it on!
グッチ氏による“オンリー・ユー”に酔いしれ、“幸せなら手をたたこう”を会場の皆様と歌いました。「どうも有難うございました! では皆さん、幸せになりましょう! 今日聞いたことは、無かったことにして下さい!」と締められたグッチ氏。笑いが絶えず、皺がたっぷり増えた一夜でした。
赤坂氏、グッチ氏、有難うございました。
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第28回目の木曜塾は、1982年デビューして以来、数々のヒット曲を出されている稲垣潤一氏をお迎え致しました。対談は、43年前に湯川が作詞したデビュー曲「雨のリグレット」の回想に始まり、中々訊き難いというご家族のお話へと続きました。いつまでも変わらないと言う評判の声ですが、過去の楽曲の音と比べると随分と変わってきていること、また、稲垣氏ご自身は余り自分の声が好きではなかったという意外なお話を披露下さいました。
「今日はですね、どんな話をしたらいいのかなって、ずいぶん悩んでこの会場に来たんですけども」と謙遜された稲垣氏ですが、ご自身の生い立ちや、曲の成り立ち等のお話を、人柄が感じられる朴訥な語り口でお話し下さいました。デビュー前、バンドメンバーと住んでいた4畳半のアパートの部屋代が払えずに、電気を消して居留守を装い、2階の部屋の出入りは電柱を登っていたというエピソードには会場が大いに沸きました。予想できなかった稲垣氏の数々のこぼれ話に、参加者の方々も感激の時間となりました。
その後は歌とトークで魅了して下さった夢のような時間でした。一曲目は、東日本大震災発生の年に発表された曲「アンリミテッド」。中学の音楽の教科書に掲載する合唱曲でしたが、この曲を広めたいという制作者たちの強い意向で、稲垣氏に白羽の矢が立ち歌うことになったそうです。
ドラマーとしては、中学三年生の時に本物のドラムセットで生まれて初めてライブを行ったのが中学の図書室でした。校長が大反対したにも拘らず、担任が助け舟を出してくれたお陰でした。情熱が伝われば、理解者は必ずいるものです。
続いて「雨の朝と風の夜に」、レコーディングに一番てこずったという「夏のクラクション」、シングルとして一番セールスした「クリスマスキャロルの頃には」を歌って下さいました。「無口だから、お話、大丈夫かしら…」という湯川の心配を他所に、歌の合間にはモータースポーツへの造詣の深さを熱く語られ、車のCMに使われた曲「僕ならばここにいる」を歌われました。終演時間が間近になった頃、自ら延長を申し出られ、最後に「哀しみのディスタンス」を歌われました。陸前高田で開催された「NHKのど自慢」に初めて出演された折に歌われた曲でした。
「稲垣さんの声、聴いてると涙出てくる。何なんだろう。なんか永遠の少年なのかな…」と言う湯川の感激の言葉はお客様共通の感動を代弁していました。
そして稲垣氏を舞台から見送る時に、突然、稲垣氏の指に輝くエイトスター・ダイヤモンドの話題に変わると、「この指輪をしてから調子が素晴らしい。はい、本当です。正直に」との感想を稲垣氏より頂戴致しました。
稲垣氏、素晴らしい歌声とお話を有難うございました。
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第27回目の木曜塾は、昨年6月シャンソン歌手デビューをされた鬼無里(きなさ)まり氏をお迎え致しました。
「鬼無里まり」は、元女優で花創作家(フラワー・アクティビスト)として活躍する志穂美悦子氏のもう一つの顔です。
湯川は、提唱するエターナルソング(大人の心に寄り添い、永遠に歌い継がれ、時代を生き抜く歌)普及のために、歌詞やメロディーを公募してコンテストを行い、授賞作品の披露コンサートを開催しました。「昨年のコンサートで、新人として一曲歌って頂いたのが鬼無里まり氏の歌手デビューでした」との湯川の紹介で鬼無里氏を壇上にお迎えしました。
花創作家として著名な志穂美氏。当日会場の舞台脇の空間を飾った目を見張る生け込みは、前日に志穂美氏が生けられたものです。生け込みの器には大木が使われ、天井まで届く高さ、幅2mを超える見事な作品でした。開場と同時に入室された参加者の方々は感嘆の声と共に、すぐさま写真撮影に専念されていらっしゃいました。
湯川と鬼無里氏は、「えっちゃん、お母さん」と呼び合う仲なのですが、「なぜ結婚したの?」という湯川の唐突な質問に、「私、アクションやってきたじゃないですか。怖いものが好きなのか、危険なものとか、命をかけそうなものがちょっと好きという傾向はあるのかな」と笑顔で答えられました。そして、「私、本当にね、結婚生活いろいろ大変だったんです。喧嘩しても、一度も手も足も出したことないんです。だって、向こうを商品だと思っているから、回し蹴りとか全部封印したの。1回だけ追い詰められた時に、この正拳、身を守るために1回あるぐらい。なのに、YouTubeで私がすっごい強くて、それで、彼は筋トレやり始めたとか…、全然違うのよ!」と明るくお話されました。対談後は歌とトークのワンマンショーです。
「23歳の頃、金子由香利さんの大人のシャンソンがとても好きで、‘銀巴里’に聴きに行ってはレコードを買って、家で聴いていました。なぜシャンソンを歌うようになったのかは、やっぱり日常に音楽があったから。それは剛さんのおかげで…」。そして、長野県の鬼無里村から頂いた歌手名について語られました。
「鬼が無い里、これこそ平和の象徴のような感じがして、でも強さと美しさがあるなと思って。どの時代も鬼はいるんです。鬼って悪いものだけじゃなく、鬼子母神とか、すごいことをやる象徴です。そういう意味で三文字に惹かれました。昔女優をやっていたから歌うといった特権を使うという考えは、私の中には全くないんです。別人格として新しいことを始めたいし、そういう目で見てもらいたいし、本当に新人からスタートしたかったから、三文字がドーンと降りて来たんです。シャンソンが本当に好きで、この年になったら、いっぱい付いた傷が歌えるわ…とか思って。シャンソン、私、本当に心から愛しています。今思えば、全てを力に変えたいと思うので、シャンソンが教えてくれた、そして私の傷を癒してくれたものを今日は聞いて頂けたらと思います」と話されて、心を揺さぶる6曲を熱唱下さいました。会場内は魅了され、参加者の方々の涙を誘っていました。
伴奏を担って下さったのは超一流のジャズピアニスト秋田慎治氏です。最後に「何かいい曲、弾いて頂けますか?いきなりですけど…」との湯川のお願いに応えて、奏でて下さったのが「My Funny Valentine」。毎回、湯川ならではの木曜塾ですが、本当に贅沢なひと時でした。
鬼無里まり氏、秋田慎治氏、有難うございました。
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第26回目の木曜塾は、音楽評論家、ディスクジョッキー、音楽プロデューサー、作曲家、音楽家として活躍をされている萩原健太氏をお迎え致しました。
「バリバリの音楽評論家です!」との湯川の紹介で萩原氏が登壇されました。今から25年位前に、テレビ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』での審査員として二人は出会いました。萩原氏の評論から感じられる優しさに溢れる人となりについて、また、突然に体調を崩した湯川に代わりFM横浜の番組「ミュージック・ランブル」の代役を務めて下さった話等、湯川にとって萩原氏の存在の大切さが伝わってくる紹介の後に対談はスタートしました。
湯川が長時間の特別番組を担当する折には、必ず相手方としてお願いしてきたという萩原氏ですが、木曜塾に登壇頂くことになった"お目当て"は、サザンオールスターズ(以後、サザンの表記)の桑田佳祐についてお話頂くことでした。サザンがアマチュアの頃、萩原氏はリード・ギタリストとしてバンドに在籍していたことがあり、当時から桑田佳祐の音楽的な才能・センスに惚れ込んでいらっしゃいました。アーティスト「桑田佳祐」に思いを馳せる中、後にご自身も音楽業界に身を置くこととなり、1998年にはサザンを題材とした本『サザンオールスターズ』を出版することになります。今回のご登壇を二つ返事で承諾頂いた萩原氏からは、貴重なオフレコ話を散りばめた、他では聞くことの出来ない桑田佳祐についてのエピソードを次から次へと紹介して下さいました。一部をご紹介致します。
「6 0 年代末頃から7 0年の初頭、ロックンロールに日本語は乗らない、ヒット曲は世に出ないと言われていた時代でしたが、そのジンクスを打ち破ったのが桑田佳祐でした。アメリカンロックやブリティッシュロックの要素を取り込み、さらにコミックバンド的な要素も加え、日本の歌謡曲やポップスの情緒をも取り入れたバンドとして、サザンの楽曲には色々な切り口があったのです。歌唱法についても、日本語と英語をうまく混ぜ合わせ、日本語を英語っぽく発音したりしていました。デビュー曲の"勝手にシンドバッド"は、なに…!? と戸惑いながらも新しい時代の幕開けを感じた人が多かったように思います。また、その異端ぶりは、自称"自分たちは目立ちたがり屋の芸人です"と語るほどでした」。デビュー以来、ヒット曲を生み出し続ける桑田佳祐が楽曲に意図したものは何だったのか、萩原氏ならではの視点で紐解かれお話下さいました。桑田佳祐のマニアックなファンでない限り、耳にする機会の無い極めて珍しい楽曲についても、その掘れども尽きぬ魅力について、作詞家としての湯川なりの思いを次のように表しました。
「私は、一言一言をどう届ければよいのかを、言葉に苦しみながらずっと作詞をしてきました。桑田さんのあの、なんだかめちゃくちゃわかんない詩に人がついてきたって、何なのだろうって改めて考えて、これも含めて桑田佳祐さんって人の魅力なのだと思う」。興味深いお話の数々を、萩原健太氏、有難うございました。
今年、NHK放送100年を祝って、サザンが関連番組のテーマソング「神様からの贈り物」を発表しました。木曜塾の数日後、NHKが桑田佳祐をゲストに迎えてサザンの歴史を辿る特別番組を放映しました。サザンは1978年のデビュー以来、約半世紀に亘り音楽シーンをリードしてきたのです。
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第25回目の木曜塾は、多才さが武器となり65年に渡り活動されているタレントのなべおさみ氏をお迎え致しました。ご自身で作詞をされたという曲を朗々と歌い上げながらのご登場に参加者の方々もビックリでしたが、気持ちを一にされていらっしゃいました。
付き人時代の話から芸名の由来に始まり、地獄を見たオフレコの話等を澱みなく語られる様は、85歳とは思えない活力に満ちていらっしゃいました。湯川曰く、まるで講談のよう、でした。今年の1月新しいプロダクションに移られ、3月24日夜9時からBS12で放送予定の「鶴瓶ちゃんとサワコちゃん ~昭和の大先輩とおかしな2人~」に出演する話、自作の曲をレコーディングして売り出す計画等々、今までより更に活動の場を広げられるとのことです。
なべ氏の手相には、薬指の下に1本スッと入っている線があります。実は、湯川自身もエイトスターを身に着けるようになってその線が入ったのですが、『自らの運命を自ら切り開くすごいいい手相』と、エネルギッシュに活動されるなべ氏の知られざる秘密を紹介することとなりました。人の寿命が分かり、健康の寿命を延ばすパワーをお持ちで、有名アスリートを始め、多くの方を健康に導いたそうです。そのパワーの恩恵を受けた方も会場にお見えでした。奥様が34歳で経験した命の危機を救い、76歳まで生き永らえたお話は、奥様への深く強い愛情を感じるお話でした。奥様の不在を「なべさん辛かったろうなと思って」という湯川の言葉に、「ああ、大丈夫ですよ。あいつと一緒に生きてますから」と応えられました。
お話の途中、なべ氏は突然に「東京以外から来た人、手を上げて」という誘い言葉で視線を一身に集められました。遠くは鹿児島、神戸、秋田、平塚、なんとアイスランドからもいらっしゃっていました。その方々から始まり、最後は欲しい方を募って、なんと、「僕が日本一美味いと感じている食パンです」と横浜の馬車道グラヌーズの食パンを配られたのです。とても粋なサプライズに会場は一層盛り上がりの一時となりました。最後のお話は、一気にご自身の思いを語られました。
「芸能の仕事以外では生きようと思ってません。雑誌の『月刊Hanada』(げっかんはなだ)に毎月一話、三年間ぐらいずっと映画に関して書き並べてます。10歳の時、学校行事で「海の男」という映画を見せられ、この時、なんて映画館っていうのは素敵なんだって思い、映画館通いが始まります。鉄屑屋に金モノを運んだり、朝鮮戦争特需で機械の整備をして稼いだお金で毎日のように銀座へ飛んで行ってロードショーを見る少年になっていました。その時買ったパンフレットが1万枚近くあります。ローマの休日から何から全部持ってます。映画のあのスクリーンの中で生きたい。あん中で生きなきゃ。皆こんな喜んでる。もうどんなことがあろうが、そこで生きよう。こう決めました。で、僕は正直、これから沢山のテレビやラジオに出たいと思っています。僕は86歳になりますが、元気ですよって姿を見せることによって、同じ時代を生きた仲間たちに、自分も頑張んなきゃ、と言わせて生きていこうかなと思っています」と締めくくられました。
「これから10年、なべおさみを見守って、一生懸命拍手をして、一生懸命ファンレター出して、番組によっては電話をかけて。是非、押し活をやって頂きたいと思います」と湯川からも熱いエールが送られました。なべおさみ氏、有難うございました。
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第24回目の木曜塾は、年明けの会として恒例となりました大德寺昭輝氏をゲストにお迎え致しました。初頭に、大德寺氏の呼びかけで、会場の皆様と共に先代の田村富保社長に心からの黙想を捧げました。「私は本当に田村さんには沢山の愛を頂いて、今日私がこうして皆様にお話をしています。私は感謝の気持ちでいっぱいです。まさかこんなに早く天国に行かれるなんて…。人が生きるって、どういうことなんだろう…」と、考えることが多くなったと心境を言葉にされました。大德寺氏のお話を一部、そのままご紹介させて頂きます。
「そんな時、誕生日の‘ たん’ という字が、偽り、嘘という意味と知り、偽りとか嘘という日に我々は生まれている、ということは、偽りという言葉は偽りではなく、我々が学んでいる価値観で物を見ていく世界ということだと思いました。命日は命の日ですね。命って不可思議です。どこに命があるのでしょうか?頭にあるのか、足にあるのか、お腹にあるのか、わかりません。どんなに有名な先生も、ノーベル賞を貰った先生も、命、魂の在る場所を教えることができません。でも、確かに私たちには魂があります。この魂を肥やすための方法は一つしかありません。教えを学ぶこと、価値観を学ぶこと。修行すること。素晴らしい師匠について一生懸命学び、魂を学んで、心を学んで、そこで初めてその価値が分かるのです。
今年は巳年。脱皮、再生、新しいことが始まります。陰の気の年。ですが、陰の気は別に悪い意味ではなくて、火と水です。だから神、今年は神の年です。この年に何かをなさった方がいい。自分が動く。出来ることをする。お店を新しくするとか、何かを新しくする。実は今年の巳の年は、志なのです。価値観を持って志を開くことによって、運命が変わってくる。ただ、様々な困難を生じます。難行苦行の年です。この地上に生まれるということは、この地上での修行。だから、いろんな方が修行をして、やっと命の世界に帰って行ったのだと思います。皆さんも、その世界にいつかは行くのだから、慌てることはありません。今を楽しんで下さい。この楽しむということがすごく大切なのです。
コロナの頃に、湯河原で有名なゴミ屋敷、ボロ屋敷を購入して研修所を作りました。皆さんでお掃除をして、綺麗にして、今、そこが本当にユートピアになりました。石のお社に素戔嗚尊(すさのおのみこと)とその八柱(はちはしら)の神様、稲田姫命(いなだひめのみこと)をお祀りして、天台烏薬(うやく)、石上神宮(いそのかみじんぐう)に頂いた‘ヒミコ’という椿とさざれ石、橘、そして、高橋秀齊先生に名付けて頂いた‘天恩池’と、お庭も素晴らしくなりました。今度、奈良にも天恩郷(てんおんきょう)が出来ます。私がやりたいことは「大和塾」。大和心を学ぶ学校を作ろうと思っています」。
最後に、「田村さんは追求して追求して、追求していろんな方について魂で感じたことをエイトスター・ダイヤモンドに注ぎ込まれました。エイトスターの真の光は魂なのです。このエイトスターの魂を消して欲しくないから、私を木曜塾のお話に呼んで下さっているのではないかと、私は悟らせて頂いております」とご自身のエイトスター・ダイヤモンドへの思いを述べられました。
「年明けの木曜塾に参加されて、生の話を聞いて、脳を活性化して、皆さん1年間元気で生きていきましょう」と締めくくられました。年の始めに心構えとなる貴重なお話を大德寺氏、有難うございました。
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第23回目の木曜塾は、今年2回目のご出演となる雅楽師・音楽家の東儀秀樹氏と今年18歳になられたご長男の典親氏をお迎え致しました。東儀氏は、日本の芸術文化の振興に多大な貢献をされたことで、昨年12月10日に発表された令和6年度文化庁長官特別表彰を受賞されました。
「今日は12月ということで、クリスマス特別仕様のプログラムです。贅沢ですよ、本当に!」という湯川の司会でお二人をステージにお招きし、東儀氏から記憶力抜群のお墨付きの典親(愛称;ちっち)氏を交え、東儀氏と湯川の出会い等、想い出話で対談が始まりました。
湯川の新刊書『私に起きた奇跡』の中でもふれていますが、東儀氏も同行されたサイババのアシュラムで開催される音楽祭に参加するために訪ねたインドの話、そして、ベストセラーにもなった東儀氏の著書に書かれた「東儀家流の子育て」(※1)の話に及びました。その東儀家流で育った張本人であり、生き証人でもあるご長男が才能を開花されている姿を目の当たりにして、会場のお客様方は納得のご様子でした。
東儀氏と典親氏によるクリスマスプレゼントに相応しい一夜限りのライブは、湯川の紹介通り特別仕様プログラムとなりました。台本無し、会場内の雰囲気をお二人が感じ取りながら、その場その時に応じた感覚で進行して行くという、会場と一体となった演奏&トークが繰り広げられ、お客様の歓喜・感動を誘いました。
お馴染みの日本のヒット曲ハナミズキから始まり、クリスマスソング、そして、ハードロックの曲や典親氏のオリジナル曲(※2)と続き、東儀氏が小さい頃から慣れ親しんだビートルズナンバーへと続きました。客層に合わせた古~い曲と解説される東儀氏に、湯川からは「悪かったわね」の合い(愛)の手が入りました。
ライブの中で思いがけない出来事がありました。東儀氏が正式に業界デビューされるずっと以前に、当時エイトスターに在籍していた社員が作詩をして、東儀氏が曲を付けたという「Very Merry Christmas to you」を披露下さったのです。突然のことでしたが、その素晴らしい曲にお客様は陶然とした面持ちで耳を傾けていらっしゃいました。ことの次第を知らず「良い歌ね~」と感じ入っていた湯川に、東儀氏から「湯川さん、これ何とか売り出して!」とラブコール。これはスタッフ仲間でさえ知らなかった話ですが、東儀氏と作詞が得意という社員との何気ないやり取りから生まれた曲のようです。エイトスター・ダイヤモンドの波動が時空を満たすプレ・クリスマスは感動の一夜となりました。
湯川ならではのゲストをお迎えして開催する「木曜塾」。その根源はエイトスター・ダイヤモンドの輝きです。その輝きを是非一度ショールームでご覧になって下さいというメッセージで会を締めくくりました。東儀秀樹氏、典親氏、有難うございました。
※1:『東儀家の子育て 才能があふれ出す35の理由』講談社
※2:典親氏はCicci(チッチ)と言うアルバムで、20曲以上を配信サービスで提供中
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第22回目の木曜塾は、内閣官房長官(第66 代)、自由民主党幹事長(第39代)、自由民主党政調会長(第47代)等を歴任された中川秀直氏をお迎え致しました。
「今日聞いて頂くお話は、本当に貴重だと思います。そして私が大好きな人でもあります」との湯川の紹介で、中川氏がご登壇されました。中川氏は、「私はかつて科学技術庁長官という原発推進の責任者で、原子力委員長でもありました。2 0 1 2 年に政界を引退して今、湯川さんも幹事で頑張って下さっている原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟の副会長です」と初頭のご挨拶をされました。そして、「今まで原発必要論者は、日本の原発は絶対安全、コストは他のエネルギーと比べて一番安い、CO2を出さない永遠のクリーンエネルギーだと言ってきた。これが、全部ウソだとわかった」と小泉純一郎元総理大臣がお話されている動画を上映して下さいました。
資源のない日本、原子力の平和利用が必要。しかも安全で安いなら、核燃料サイクルも必要と信じていた小泉氏も中川氏も、2011年の福島の事故で考えを改めたそうです。壊れるはずのないものが壊れた。それでも尚、安全神話は続き、壊れたのは想定外として、誰も責任をとっていないのが現状だったようです。
「かつて自分のやった原発推進の施策は、全く間違いだったと思い知りました。心から反省して、責任が重かった分、その償いの意味でも原発ゼロに、あらゆる努力をしようと決意したのであります」と中川氏は声を大に明言されました。そして、次のような決意をお話されました。
「原発は温暖化対策として有効ではなく、事故原発は石棺にするしかない。核廃棄物も地下に埋めるしかなく、災害列島日本では処分はできない。内閣府の有識者懇談会が2020年4月に公表した日本海溝・千島海溝沿いにおける最大クラスの震度分布・津波高等の推計では、マグニチュード9クラスの地震を想定し、津波高は30mにも及び、被害エリアに原発は12基もあります。重要なのは決断なんです。今世界は、自然エネルギーが急拡大していて、国際再生可能エネルギー機関の試算では、2050年には自然エネルギーは全体の8,9割に高まる。つまり、原発が無くても十分にやっていける。我々原自連は、自然エネルギーを6割くらいにしなきゃいかんと提言しました。一刻も早く原発の停止処理に入らなければいけません。
生き残っていく為には自然生態系との多様な協調、共存しかありません。日本の産業界は、日本気候リーダーズ・パートナーシップ(JCLP)という脱炭素社会の実現に積極的な行動をする日本独自の企業グループが2009年に発足し、RE100という、事業活動で消費するエネルギーを100%再生可能エネルギーにする目標を持つ国際的な動きに加盟する日本企業も88社となりました。日本も含めて世界で、制度や政策を見直し組み変えなければなりません」
「私達一人ひとりが声を上げなきゃいけない」と湯川も強く述べました。最後に、中川氏の応援にお越し下さっていた小泉純一郎氏が「健康で頑張りましょう」と締めくくられて終演となりました。中川氏のレジメに綴られていた魂へ語る貴重なお話に参加者の方々は心を新たにされていました。中川氏、小泉氏、本当に有難うございました。