Report レポート

  • 202511/13Thu
    第34回

    ジョン・健・ヌッツォ

    (テノール歌手)

     第34回目の木曜塾は、テノール歌手のジョン・健・ヌッツォ氏をお迎え致しました。
     「人間の声があんなに人を感動させるって…。声そのものが人を感動させるんですね。今夜はそんな声を贅沢に…」と湯川がゲストにお迎えしたのはテノール歌手のヌッツォ氏です。「東京生まれアメリカ国籍のヌッツォ氏は、お父様がイタリア系アメリカ人、お母様が日本人です。木曜塾初のアメリカ人登場です!」との湯川の紹介に会場内には和やかな笑い声が起こりました。
     湯川との対談が始まり程なくして、作曲家の三枝成彰氏がヌッツォ氏について「いやー、日本にもすごいのがいるんだよ」と称した話になると、ヌッツォ氏は「じゃあ急に行きますよ!」と“アメイジング・グレース”をアカペラで歌って下さいました。会場内は大拍手が響き、興奮も冷めないまま対談は続きました。「アメリカっていろんな人がいるから僕は楽なんです。行くとホッとする。もう日本人でもアメリカ人でもメキシカンでも何でもいいみたいな。でも、ダウンタウンに行くと、ギャングの闘争があるんです。一番怖かったのは1992年のロスの暴動。戦争って本当こんなだろうなって思い、ロスを離れて仕事で大阪に来ました。大阪はオープンでラテンな感じで癒され、楽しかったです」その後、ご自身の今に至る歌の経歴を短くまとめてお話されました。
     「ハイスクールの時に少年合唱団に入っていて、ミュージカルやロックバンドで歌ったり、DJもやりました。ビジネス専攻で大学に入学したけれど、歌いたいと思いコーラスのオーディションを受けました。後にテノール製造機みたいな先生に師事することになり、ドイツ系のシューマンとかシューベルト、イタリア歌曲から始まりオペラを歌うようになりました。アルバイトとして教会で8年間歌っていましたが、教会のミサ曲はオペラとは違い教会の響きが大好きで、その響きで自分の声を聴きました。そして2000年にウィーン国立歌劇場に入れたんです。パヴァロッティやクラウスやオペラの最後のゴールデンエイジの人たちと出会えました。コーチングされているかのように、彼らの歌を毎日聴いていました。ドミンゴと歌劇「真珠とり」でデュエットし、彼がテノールからバリトンに転換していた時で、彼がバリトンを歌い僕がテノールを歌いました。その後帰国しましたが、音大を出ていない僕は相手にされず歌う所がありませんでした。盛岡で開催されたコンクールでウィーンに行くチャンスがあり、ジャッジがイタリア人、フランス人、ドイツ人でしたから、ただ❛音だけ❜でウィーンに行けたのです。ウィーン、ハンブルグを始め、ドイツ各都市でオーディションを受け、オーディションというものを覚えました。ザルツブルグ音楽祭でデビューをして、指揮者で音楽監督のレヴァインに見い出され、僕の最後のゴールであるメトロポリタンニューヨークデビューしました。音楽を通して僕は世界がもっと見たいというのが本当の気持ちです」とお話され、いよいよ数曲を熱唱下さいました。NHK大河ドラマのメイン・テーマ“新選組”、“オー・ソレ・ミオ”、オペラのトゥーランドット“誰も寝てはならぬ”を歌われました。会場は素晴らしい時空となり、本当に大きな感動に包まれ、ブラボーの声と拍手が鳴りやみませんでした。
     ジョン・健・ヌッツォ氏、本当に素晴らしい歌声を有難うございました。

  • 202510/9Thu
    第33回

    原田真二

    (シンガーソングライター)

     第33回目の木曜塾は、シンガーソングライターでマルチミュージシャンの原田真二氏をお迎え致しました。心配されていた台風の襲来もなくなり、会場には多くのお客様がお越し下さいました。原田氏は、特に平和と環境について種々の発信をしているNPO法人で湯川がご一緒してきた仲間でもあります。
     「昔から原田真二さんが大好きだったっていう人、手を挙げて下さい」との湯川の声に、お客様は多くが女性でしたが、その大半の方が手を挙げられました。湯川との対談は、原田氏が新人オーディションのデモテープ作りのために、教師であるご両親を説得して修学旅行をお休みしたという話題から始まりました。既にミュージシャンとしてのレールをしっかり決めていたという覚悟がひしひしと感じられました。デビュー当時にアイドルとして一世を風靡した原田氏も、今年10月で48周年を迎えられました。アイドル時代には今からは考えられないような(ストーカーもどきの)ファンの方々のお話や、自分のバンドでのテレビ出演が珍しい時代故の歌謡界の方々との軋轢、ロックアーティストとしての確固たる気概を持ち、古い時代の確執を切り開いてこられたお話に、会場からは「素晴らしい!」の声と拍手が起こりました。
     広島出身の原田氏は、中学の頃から広島のことをどうしても伝えたいという思いがあり、最初のデモテープの詩にも、当たり前のように平和への思いが込められていました。『好きな音楽を聴いて元気になり、優しい気持ちになった方々がコミュニティにどんどん増えてくれば、そのコミュニティは平和になる』。そんな夢を描いた原田氏には、歌で世界を平和に出来ないだろうかという思いがごく自然にありました。その音楽活動の姿勢が、しばしば国連の色々なレベルの会議やフォーラムでメッセージを発信したり、歌唱する機会を得たようです。そんな原田氏が今一番憂えていることが、ウクライナやガザでの争いで犠牲になっている未来を担う子供たちの状況です。お話はこんなメッセージで締めくくられました。「どうか皆さん、自分に力が無い等と思わないで下さい。もしかしたら微力って思われるかもしれませんけれど、微力は無力ではないんです。微力が何千万と集まると、とてつもない巨大な力になります。どうか皆さんの力を信じて下さい。お一人お一人の力が非常に大きい。是非、声にして頂きたいと思います!」
     熱い呼掛けに会場の興奮の冷めやらぬ中、キーボードに向かった原田氏は、ご自身のキャリアの中で非常に大きなものと仰る八王子市立下柚木小学校校歌「下柚木の丘はいつだって」を聞かせて下さいました。「子供たちは我々の未来」という原田氏の想いが盛り込まれた歌です。続いて大ヒット曲「キャンディ」を歌われると、手拍子と共に「真二!」の掛声で会場内の熱気はピークに達しました。
     「人間が、子供たちが、笑っているのを見ていたい」と心からの想いを言葉にされて「The Children Of The Earth」を歌われました。次にギターを持ち、今年8月6日に広島でのピースウォークで歌われた「青くきれいな星のために」を練習後に会場と掛合で歌われました。最後に総立ちとなったお客様達と「てぃーんず ぶるーす」、再びキーボード演奏で大ヒット曲「タイム・トラベル」を熱唱下さいました。青春を彷彿とさせる熱く燃えたひと時でした。
     原田真二氏、心に響くメッセージと素晴らしい演奏と歌を有難うございました。

  • 20259/11Thu
    第32回

    渡辺敦子

    (ミュージシャン/東京スクールオブミュージック&ダンス専門学校 学校長 )

     第32回目の木曜塾は、1983年から1996年にかけて日本で最も成功した5人組ガールズバンド、プリンセス プリンセス(以下プリプリ)のリーダー/ベーシストとして活躍された渡辺敦子氏をお迎え致しました。当日は夕方より激しい雷雨という天気予報にも拘わらず、大勢の参加者の方々にお集まり頂きました。
    湯川がその人となりを「肝の据わった大きな人」と評する渡辺氏。親しみを込めて「あっこちゃん」と呼ぶその関係は、湯川が長年名誉学校長を務める専門学校に、30年程前に渡辺氏が講師として着任されてより長きにわたります。渡辺氏をステージ上にお迎えして湯川が開口一番「何を聞いても、隠し事がない人なんです」とご紹介して、お尋ねしたのは年齢。昨年還暦を迎えられたという言葉に、会場からは驚きのどよめきがおきました。
     中学から始まったという音楽歴のお話は、武勇伝をお聴きするような物語でした。高校卒業時に女性バンドとして一般公募で集められたプリプリの前身の赤坂小町結成時は、オーディションの応募条件が、アイドル全盛時代だったので、もちろん歌えることでしたが、ショートパンツかミニスカート着用だったそうです。時代を考えると、突拍子もない条件だったかも知れません。審査会終了後の懇親会では、スタッフの方から「渡辺さん、ギター弾ける?」と聞かれた際に、本当は3つくらいしかコードを弾けなかったのに、すかさず「弾けます!」と応えてしまったという渡辺氏の熱弁に会場は盛り上がりました。「あっこちゃんの“あ”は当たって砕けろの“あ”」とご自身を評するお話は、肝が据わった一端を垣間見るようでした。バンドの夢である武道館ライブを実現した際の具体的な方法や東日本大震災復興支援のバンド再結成のお話、現在校長を務める東京スクールオブミュージック&ダンス専門学校や親友と立ち上げた児童発達支援・放課後等デイサービス「ダイアキッズ」のお話の数々、ご自身が歩まれて来られた道のりでの逸話を包み隠さずご披露下さいました。
     最後に「大人になっても頑張ればやれないことはない」と仰り、大好きな言葉としてブルース・リーの「水のようになれ」を引用されました。「水のように柔軟にしなやかに、無理をし過ぎず自分らしく生きて、自分自身を信じて好きなことを皆さんもやって下さい。またお会いする日を楽しみに私も頑張ります」と締めくくられました。
     お話に続いてはライブステージ。最初の曲はベースによる見事なスラップ(指で弦を叩き付ける等)の奏法をご披露下さり、続いて「是非皆さんも歌って下さいね」と声をかけて「世界でいちばん熱い夏」を歌われ、最後に、「私にとっていつも心にダイヤモンド、還暦を超えてのダイヤモンドだと思います。そして、私にとってれい子さんはダイヤモンドです!」と、首に着けたネックレスを手で持ち上げて、「これエイトスターのダイヤモンドなんです。もう20年くらい前から持っていますが、このダイヤモンドを胸に、あと1曲、皆さんも歌って下さい。❛ダイヤモンド❜です!」と名曲「Diamonds」をベースを奏でながら歌って下さいました。会場中から盛大な声援と拍手、そして、あっこちゃんコールが送られました。
     渡辺敦子氏、大変心惹かれるお話と素晴らしい演奏を有難うございました。

  • 20258/28Thu
    第31回

    尾藤イサオ

    (歌手/俳優/声優/ジャグラー)

     第31回目の木曜塾は、8月の2週目がお盆の時期と重なることから、第4週目の開催となりました。8月は、湯川が人生の大半をかけて関わってきたエルヴィス・プレスリーの命月ということもあって、メインゲストにエルヴィスと所縁の深い尾藤イサオ氏、そしてサプライズゲストに青森のプレスリーこと土岐豊一氏をお迎え致しました。
     尾藤氏と湯川の最初の出会いは60年前。エルヴィスを歌うと、とにかく凄く上手い子が出てきたという話を聞いて、湯川がジャズ喫茶に聴きに行ったのが最初でしたが、その時既に尾藤氏はロカビリーのスターでした。
     実は、父親は百面相や形態模写を得意とした落語家で寄席芸人、母親も芸人という環境に尾藤氏は産まれました。3歳の時に父親が亡くなり、家計を助けることもあって、小学5年生で太神楽の曲芸師の内弟子となり活躍します。否応なしに芸を磨く日々の中でエルヴィスと衝撃的な出会いをします。それは、ラジオから流れたエルヴィスが歌う“Heartbreak Hotel”。13歳の尾藤氏のハートを鷲掴みにしました。当時、年季奉公の最中だった尾藤氏は、曲芸に併せてエルヴィスの曲をかけながら、兄弟子と「ロカビリー曲芸」を実演したそうです。16歳の頃には「ジャパニーズ・スペクタキュラー」公演団の一員として米国巡業に同行、1959年のクリスマス・イブはアメリカの人気テレビ番組「ダイナ・ショア・ショー」へも出演しました。歌手としては、18歳の時に作曲家すぎやまこういち氏の紹介でデビューしますが、デビュー曲は売れず、その2年後、イングランドのロックグループ、アニマルズの“悲しき願い”をカバーで歌い、予想外の大ヒットとなります。そんなお話の成り行きで、「ちょっと歌って!」という湯川のリクエストに応えて歌って下さいました。アニマルズのヴォーカリストのエリック・バードンがコンサートで来日した折、前座を務める尾藤氏が歌い始めると、楽屋にいたエリック・バードンが余りの上手さにびっくりして、飛び出して尾藤氏が歌うのを見に行ったという話を湯川から初めて聞かされて、舞台上で尾藤氏は大感激されていました。
     そして、尾藤イサオ・オン・ステージの開演です。“All Shook Up”“Teddy Bear”“Don’t be Cruel”をメドレーで、続いて代表曲“Heartbreak Hotel”を日本語歌詞を交えながら歌い、「昔はロカビリーで頑張っていました。今はリハビリで頑張っております」と笑いを誘い、“Hound Dog”“監獄ロック”で会場を興奮の渦で満たしました。アンコールは代表曲“あしたのジョー”、最初のヒット曲“悲しき願い”。湯川も会場の皆様も感極まっていました。尾藤氏が退場されて会場内は少し暗転。
     予告無しでお迎えしたサプライズゲスト、青森のプレスリーこと土岐豊一氏の登場です。頭のてっぺんから足先までエルヴィスそのものの出で立ちに、会場からは歓喜の声が上がりました。アメリカで開催されたエルヴィスそっくりさん世界大会で、なんと5位の方です。先ずは“Unchained Melody”、続いて土岐氏が大好きな“An American Trilogy”を、まるでエルヴィスの再来かのように歌って下さいました。勿論、会場からのアンコールの声もあって、エルヴィスの一番有名な曲“Can't Help Falling in Love”で締めて下さいました。「泣かされちゃった。幸せでした!有難うございました!」と湯川。終演後も会場内の熱気は冷めやらず。本当に湯川ならではのスペシャルな時空の一夜となりました。
     尾藤イサオ氏、土岐豊一氏、幸せな時間を有難うございました。

  • 20257/10Thu
    第30回

    ミッキー吉野

    (ゴダイゴのキーボード/ソングライター)

     第30回目の木曜塾は、ロックバンド『ゴダイゴ』のリーダーであり、キーボード奏者として大変著名なミッキー吉野氏をお迎え致しました。当日は天気予報通り、開演時間を目掛けて激しい雷雨が襲いましたが、キャンセルされる方もほぼ出ず、会場一杯の参加者の方々をお迎えしての開演となりました。
     「日本の宝のような方」と湯川が評するミッキー吉野氏。大ヒット曲“ガンダーラ”が生まれたのは47年前ですが、ゴダイゴのほぼ全曲にわたって編曲を担当されていました。飛んだ話をして欲しいとの湯川のリクエストで、ミッキー吉野氏は滅多にはされないお話をして下さいました。
     小中高と学校には余り行かなかったと仰るミッキー吉野氏。この事がある意味で功を奏したのでしょうか? その後、アメリカのボストンにある世界的に有名な音楽大学、バークリー音楽大学に入学されます。ここでは音楽理論や作曲、演奏技術、音楽ビジネス、音響技術等、様々な音楽に関連する専門分野を学ぶことができ、プロの音楽家や音楽業界のリーダーを数多く輩出しています。学校へ行っていなかったので、普通の勉強の仕方が分らず、前に進むためには、自分で考えて自分なりの答えを見つけて行くといった学び方が、結果、とてもユニークな視点・考え方を身に着ける素地となったそうです。何がきっかけになるのか、人生は計り知れません。「自分で考え、自分なりの答え」とはどのようなことか、例を挙げてお話下さいました。
     ルイ・アームストロングの代表曲“What a Wonderful World=この素晴らしき世界”。「皆さん、素晴らしい世界って何でしょう。わかりますか?」「実は、この英語を分解すると簡単なんです。Wonderfulを分解してful(l of) wonder(フル・オブ・ワンダー)とすれば、不思議一杯の世界がWonderfulなんです」。
     続いては、大変興味深いダイヤモンド(DIAMOND)のお話。「Dから始まってDで終わり、一周すると円になる。更に真ん中にあるMはアルファベット26文字の真ん中の文字で、文字自体が強いものを持っている」という紐解き。湯川を始め会場から感嘆の声がもれました。限りある誌面ではご紹介できないお話は、英字から始まって漢字や数字、またそれらの組み合わせの数々等、尽きぬ泉のようにご披露下さいました。
     終盤は勿論、キーボードに向かわれ、お話をはさみながらのショータイムです。
     先ずは、即興演奏で“椰子の実”。「グレン・ミラーと島崎藤村、一緒に曲を作ったらどうなるか」といった自由な発想から紡がれる、心地よく軽快な演奏に、会場はうっとりした雰囲気に包まれました。続けて、“Wonder, Understand”。更に、グループ『ザ・ゴールデン・カップス』時代の曲“愛する君に”。皆さんお待ちかねの西遊記から“ガンダーラ”。「歌、下手ですからね、僕」と謙遜され、語りかけるような歌唱をご披露下さいました。“ガンダーラ”がヒットしなければ解散していたかもというお話の後は、“ビューティフル・ネーム”を会場の手拍子と共に演奏頂きました。
     終演時間が迫る中、湯川からのアンコールを受けて、“銀河鉄道999”を歌って下さいました。本当に贅沢なひと時でした。ゲリラ雷雨にも負けずお集まり頂いた参加者の方々の熱い歓びの余韻がいつまでも会場内に残っていました。
     ミッキー吉野氏、飛んだお話と素晴らしい歌を有難うございました。

  • 20256/12Thu
    第29回

    赤坂泰彦/グッチ裕三

    (ディスク・ジョッキー / 司会者 / ミュージシャン / 俳優 / 作詞家;赤坂泰彦、歌手 / タレント / 俳優 / 作曲家;グッチ裕三)

     第29回目の木曜塾は、様々な才能をお持ちのお二人、赤坂泰彦氏とグッチ裕三氏をお迎え致しました。冒頭、「今日は、笑い皺が増えて帰ることになります」との湯川の紹介で、まずは赤坂泰彦氏にご登場頂きました。赤坂氏と40年来の思い出話に花を咲かせた後、「この方のご紹介は、是非、赤坂さんに!」との湯川のリクエストに応えて、「最近はゴルフクラブも振ればフライパンも振れる。厨房から直行です。Ladies and Gentlemen、グッチ裕三!Come on, look at it!」と赤坂氏の名調子。グッチ氏がフライパン・マイクを持ち、“ボラーレ”を歌いながら会場内に登場、盛大な拍手の中、舞台へ上がられるや否や、会場内を一気に盛り上げました。
    グッチ氏:元気ですかー! 
    会場:イェーイ! 
    グッチ氏:僕は無理してます~
     偶然にも、お二人のお父様方は同じ船会社にお勤めだったのですが、お二人は出会った瞬間にソウルメイトだとお互いが感じられたそうです。大好きな音楽も50~60年代のR&Bやロックンロール。仲の良さを感じさせるお話を披露されました。湯川が、掛け合いトークが面白いと絶賛してゲストにお呼びしたかったというお二人です。笑い絶えない爆笑トークの中からご紹介します。
    グッチ氏:事務所の後輩の〇〇きよし君(実名でした!)、すごい優しくてね。お年寄りにすぐ声をかける。「おばあちゃんはお元気そうで、おいくつですか?」って言うはずが「おいくらですか」って‼ 天然にはかなわないな。
    赤坂氏:某芸能人の奥様が、よその新築のお宅を見て、「良かったわよ。2車線住宅」更に、「そこの息子さん、アメリカにホームレスに出すんでしょ?」
    それから、(その奥様が)旦那様と大喧嘩をした時に台所で出会い頭、「どいて」って言うつもりが「抱いて」って! どういうきっかけで二人はお付き合いしたのか聞くと、「私が、最初にローションかけたのよ」
    グッチ氏:あの人とは真面目に話しができないんだよ。
    延々と続く実名入りの掛け合いに、最後まで笑いが止まりませんでした。その後もお仲間同士で仕掛け合ったドッキリの話、韓国の温浴施設に行った時に、ロッカーだと思って脱いでいたら靴箱の前で事件になった話等に続き、料理家であるグッチ氏から、古古古古米の美味しい食べ方の話へと移りました。もち米は5%くらい、お酒大さじ1、ハチミツ小さじ1、この3つを入れたことがバレないようにやると美味しくなるそうです。
     最後は、グッチ氏によるショータイムです。
    赤坂氏:Ok now! Are you ready? 
    会場:Yay! 
    赤坂氏:Get it on!
    グッチ氏による“オンリー・ユー”に酔いしれ、“幸せなら手をたたこう”を会場の皆様と歌いました。「どうも有難うございました! では皆さん、幸せになりましょう! 今日聞いたことは、無かったことにして下さい!」と締められたグッチ氏。笑いが絶えず、皺がたっぷり増えた一夜でした。
     赤坂氏、グッチ氏、有難うございました。

  • 20255/8Thu
    第28回

    稲垣潤一

    (歌手)

     第28回目の木曜塾は、1982年デビューして以来、数々のヒット曲を出されている稲垣潤一氏をお迎え致しました。対談は、43年前に湯川が作詞したデビュー曲「雨のリグレット」の回想に始まり、中々訊き難いというご家族のお話へと続きました。いつまでも変わらないと言う評判の声ですが、過去の楽曲の音と比べると随分と変わってきていること、また、稲垣氏ご自身は余り自分の声が好きではなかったという意外なお話を披露下さいました。
     「今日はですね、どんな話をしたらいいのかなって、ずいぶん悩んでこの会場に来たんですけども」と謙遜された稲垣氏ですが、ご自身の生い立ちや、曲の成り立ち等のお話を、人柄が感じられる朴訥な語り口でお話し下さいました。デビュー前、バンドメンバーと住んでいた4畳半のアパートの部屋代が払えずに、電気を消して居留守を装い、2階の部屋の出入りは電柱を登っていたというエピソードには会場が大いに沸きました。予想できなかった稲垣氏の数々のこぼれ話に、参加者の方々も感激の時間となりました。
     その後は歌とトークで魅了して下さった夢のような時間でした。一曲目は、東日本大震災発生の年に発表された曲「アンリミテッド」。中学の音楽の教科書に掲載する合唱曲でしたが、この曲を広めたいという制作者たちの強い意向で、稲垣氏に白羽の矢が立ち歌うことになったそうです。
     ドラマーとしては、中学三年生の時に本物のドラムセットで生まれて初めてライブを行ったのが中学の図書室でした。校長が大反対したにも拘らず、担任が助け舟を出してくれたお陰でした。情熱が伝われば、理解者は必ずいるものです。
     続いて「雨の朝と風の夜に」、レコーディングに一番てこずったという「夏のクラクション」、シングルとして一番セールスした「クリスマスキャロルの頃には」を歌って下さいました。「無口だから、お話、大丈夫かしら…」という湯川の心配を他所に、歌の合間にはモータースポーツへの造詣の深さを熱く語られ、車のCMに使われた曲「僕ならばここにいる」を歌われました。終演時間が間近になった頃、自ら延長を申し出られ、最後に「哀しみのディスタンス」を歌われました。陸前高田で開催された「NHKのど自慢」に初めて出演された折に歌われた曲でした。
     「稲垣さんの声、聴いてると涙出てくる。何なんだろう。なんか永遠の少年なのかな…」と言う湯川の感激の言葉はお客様共通の感動を代弁していました。
     そして稲垣氏を舞台から見送る時に、突然、稲垣氏の指に輝くエイトスター・ダイヤモンドの話題に変わると、「この指輪をしてから調子が素晴らしい。はい、本当です。正直に」との感想を稲垣氏より頂戴致しました。
     稲垣氏、素晴らしい歌声とお話を有難うございました。

  • 20254/10Thu
    第27回

    鬼無里まり(志穂美悦子)

    (俳優/歌手/花創作家)

     第27回目の木曜塾は、昨年6月シャンソン歌手デビューをされた鬼無里(きなさ)まり氏をお迎え致しました。
    「鬼無里まり」は、元女優で花創作家(フラワー・アクティビスト)として活躍する志穂美悦子氏のもう一つの顔です。
     湯川は、提唱するエターナルソング(大人の心に寄り添い、永遠に歌い継がれ、時代を生き抜く歌)普及のために、歌詞やメロディーを公募してコンテストを行い、授賞作品の披露コンサートを開催しました。「昨年のコンサートで、新人として一曲歌って頂いたのが鬼無里まり氏の歌手デビューでした」との湯川の紹介で鬼無里氏を壇上にお迎えしました。
     花創作家として著名な志穂美氏。当日会場の舞台脇の空間を飾った目を見張る生け込みは、前日に志穂美氏が生けられたものです。生け込みの器には大木が使われ、天井まで届く高さ、幅2mを超える見事な作品でした。開場と同時に入室された参加者の方々は感嘆の声と共に、すぐさま写真撮影に専念されていらっしゃいました。
     湯川と鬼無里氏は、「えっちゃん、お母さん」と呼び合う仲なのですが、「なぜ結婚したの?」という湯川の唐突な質問に、「私、アクションやってきたじゃないですか。怖いものが好きなのか、危険なものとか、命をかけそうなものがちょっと好きという傾向はあるのかな」と笑顔で答えられました。そして、「私、本当にね、結婚生活いろいろ大変だったんです。喧嘩しても、一度も手も足も出したことないんです。だって、向こうを商品だと思っているから、回し蹴りとか全部封印したの。1回だけ追い詰められた時に、この正拳、身を守るために1回あるぐらい。なのに、YouTubeで私がすっごい強くて、それで、彼は筋トレやり始めたとか…、全然違うのよ!」と明るくお話されました。対談後は歌とトークのワンマンショーです。
     「23歳の頃、金子由香利さんの大人のシャンソンがとても好きで、‘銀巴里’に聴きに行ってはレコードを買って、家で聴いていました。なぜシャンソンを歌うようになったのかは、やっぱり日常に音楽があったから。それは剛さんのおかげで…」。そして、長野県の鬼無里村から頂いた歌手名について語られました。
     「鬼が無い里、これこそ平和の象徴のような感じがして、でも強さと美しさがあるなと思って。どの時代も鬼はいるんです。鬼って悪いものだけじゃなく、鬼子母神とか、すごいことをやる象徴です。そういう意味で三文字に惹かれました。昔女優をやっていたから歌うといった特権を使うという考えは、私の中には全くないんです。別人格として新しいことを始めたいし、そういう目で見てもらいたいし、本当に新人からスタートしたかったから、三文字がドーンと降りて来たんです。シャンソンが本当に好きで、この年になったら、いっぱい付いた傷が歌えるわ…とか思って。シャンソン、私、本当に心から愛しています。今思えば、全てを力に変えたいと思うので、シャンソンが教えてくれた、そして私の傷を癒してくれたものを今日は聞いて頂けたらと思います」と話されて、心を揺さぶる6曲を熱唱下さいました。会場内は魅了され、参加者の方々の涙を誘っていました。
     伴奏を担って下さったのは超一流のジャズピアニスト秋田慎治氏です。最後に「何かいい曲、弾いて頂けますか?いきなりですけど…」との湯川のお願いに応えて、奏でて下さったのが「My Funny Valentine」。毎回、湯川ならではの木曜塾ですが、本当に贅沢なひと時でした。
     鬼無里まり氏、秋田慎治氏、有難うございました。

  • 20253/13Thu
    第26回

    萩原健太

    (音楽評論家/ディスクジョッキー/音楽プロデューサー)

     第26回目の木曜塾は、音楽評論家、ディスクジョッキー、音楽プロデューサー、作曲家、音楽家として活躍をされている萩原健太氏をお迎え致しました。
     「バリバリの音楽評論家です!」との湯川の紹介で萩原氏が登壇されました。今から25年位前に、テレビ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』での審査員として二人は出会いました。萩原氏の評論から感じられる優しさに溢れる人となりについて、また、突然に体調を崩した湯川に代わりFM横浜の番組「ミュージック・ランブル」の代役を務めて下さった話等、湯川にとって萩原氏の存在の大切さが伝わってくる紹介の後に対談はスタートしました。
     湯川が長時間の特別番組を担当する折には、必ず相手方としてお願いしてきたという萩原氏ですが、木曜塾に登壇頂くことになった"お目当て"は、サザンオールスターズ(以後、サザンの表記)の桑田佳祐についてお話頂くことでした。サザンがアマチュアの頃、萩原氏はリード・ギタリストとしてバンドに在籍していたことがあり、当時から桑田佳祐の音楽的な才能・センスに惚れ込んでいらっしゃいました。アーティスト「桑田佳祐」に思いを馳せる中、後にご自身も音楽業界に身を置くこととなり、1998年にはサザンを題材とした本『サザンオールスターズ』を出版することになります。今回のご登壇を二つ返事で承諾頂いた萩原氏からは、貴重なオフレコ話を散りばめた、他では聞くことの出来ない桑田佳祐についてのエピソードを次から次へと紹介して下さいました。一部をご紹介致します。
     「6 0 年代末頃から7 0年の初頭、ロックンロールに日本語は乗らない、ヒット曲は世に出ないと言われていた時代でしたが、そのジンクスを打ち破ったのが桑田佳祐でした。アメリカンロックやブリティッシュロックの要素を取り込み、さらにコミックバンド的な要素も加え、日本の歌謡曲やポップスの情緒をも取り入れたバンドとして、サザンの楽曲には色々な切り口があったのです。歌唱法についても、日本語と英語をうまく混ぜ合わせ、日本語を英語っぽく発音したりしていました。デビュー曲の"勝手にシンドバッド"は、なに…!? と戸惑いながらも新しい時代の幕開けを感じた人が多かったように思います。また、その異端ぶりは、自称"自分たちは目立ちたがり屋の芸人です"と語るほどでした」。デビュー以来、ヒット曲を生み出し続ける桑田佳祐が楽曲に意図したものは何だったのか、萩原氏ならではの視点で紐解かれお話下さいました。桑田佳祐のマニアックなファンでない限り、耳にする機会の無い極めて珍しい楽曲についても、その掘れども尽きぬ魅力について、作詞家としての湯川なりの思いを次のように表しました。
     「私は、一言一言をどう届ければよいのかを、言葉に苦しみながらずっと作詞をしてきました。桑田さんのあの、なんだかめちゃくちゃわかんない詩に人がついてきたって、何なのだろうって改めて考えて、これも含めて桑田佳祐さんって人の魅力なのだと思う」。興味深いお話の数々を、萩原健太氏、有難うございました。
     今年、NHK放送100年を祝って、サザンが関連番組のテーマソング「神様からの贈り物」を発表しました。木曜塾の数日後、NHKが桑田佳祐をゲストに迎えてサザンの歴史を辿る特別番組を放映しました。サザンは1978年のデビュー以来、約半世紀に亘り音楽シーンをリードしてきたのです。

  • 20252/13Thu
    第25回

    なべおさみ

    (コメディアン/俳優/声優)

     第25回目の木曜塾は、多才さが武器となり65年に渡り活動されているタレントのなべおさみ氏をお迎え致しました。ご自身で作詞をされたという曲を朗々と歌い上げながらのご登場に参加者の方々もビックリでしたが、気持ちを一にされていらっしゃいました。
     付き人時代の話から芸名の由来に始まり、地獄を見たオフレコの話等を澱みなく語られる様は、85歳とは思えない活力に満ちていらっしゃいました。湯川曰く、まるで講談のよう、でした。今年の1月新しいプロダクションに移られ、3月24日夜9時からBS12で放送予定の「鶴瓶ちゃんとサワコちゃん ~昭和の大先輩とおかしな2人~」に出演する話、自作の曲をレコーディングして売り出す計画等々、今までより更に活動の場を広げられるとのことです。
     なべ氏の手相には、薬指の下に1本スッと入っている線があります。実は、湯川自身もエイトスターを身に着けるようになってその線が入ったのですが、『自らの運命を自ら切り開くすごいいい手相』と、エネルギッシュに活動されるなべ氏の知られざる秘密を紹介することとなりました。人の寿命が分かり、健康の寿命を延ばすパワーをお持ちで、有名アスリートを始め、多くの方を健康に導いたそうです。そのパワーの恩恵を受けた方も会場にお見えでした。奥様が34歳で経験した命の危機を救い、76歳まで生き永らえたお話は、奥様への深く強い愛情を感じるお話でした。奥様の不在を「なべさん辛かったろうなと思って」という湯川の言葉に、「ああ、大丈夫ですよ。あいつと一緒に生きてますから」と応えられました。
     お話の途中、なべ氏は突然に「東京以外から来た人、手を上げて」という誘い言葉で視線を一身に集められました。遠くは鹿児島、神戸、秋田、平塚、なんとアイスランドからもいらっしゃっていました。その方々から始まり、最後は欲しい方を募って、なんと、「僕が日本一美味いと感じている食パンです」と横浜の馬車道グラヌーズの食パンを配られたのです。とても粋なサプライズに会場は一層盛り上がりの一時となりました。最後のお話は、一気にご自身の思いを語られました。
     「芸能の仕事以外では生きようと思ってません。雑誌の『月刊Hanada』(げっかんはなだ)に毎月一話、三年間ぐらいずっと映画に関して書き並べてます。10歳の時、学校行事で「海の男」という映画を見せられ、この時、なんて映画館っていうのは素敵なんだって思い、映画館通いが始まります。鉄屑屋に金モノを運んだり、朝鮮戦争特需で機械の整備をして稼いだお金で毎日のように銀座へ飛んで行ってロードショーを見る少年になっていました。その時買ったパンフレットが1万枚近くあります。ローマの休日から何から全部持ってます。映画のあのスクリーンの中で生きたい。あん中で生きなきゃ。皆こんな喜んでる。もうどんなことがあろうが、そこで生きよう。こう決めました。で、僕は正直、これから沢山のテレビやラジオに出たいと思っています。僕は86歳になりますが、元気ですよって姿を見せることによって、同じ時代を生きた仲間たちに、自分も頑張んなきゃ、と言わせて生きていこうかなと思っています」と締めくくられました。
     「これから10年、なべおさみを見守って、一生懸命拍手をして、一生懸命ファンレター出して、番組によっては電話をかけて。是非、押し活をやって頂きたいと思います」と湯川からも熱いエールが送られました。なべおさみ氏、有難うございました。