第25回目の木曜塾は、多才さが武器となり65年に渡り活動されているタレントのなべおさみ氏をお迎え致しました。ご自身で作詞をされたという曲を朗々と歌い上げながらのご登場に参加者の方々もビックリでしたが、気持ちを一にされていらっしゃいました。
付き人時代の話から芸名の由来に始まり、地獄を見たオフレコの話等を澱みなく語られる様は、85歳とは思えない活力に満ちていらっしゃいました。湯川曰く、まるで講談のよう、でした。今年の1月新しいプロダクションに移られ、3月24日夜9時からBS12で放送予定の「鶴瓶ちゃんとサワコちゃん ~昭和の大先輩とおかしな2人~」に出演する話、自作の曲をレコーディングして売り出す計画等々、今までより更に活動の場を広げられるとのことです。
なべ氏の手相には、薬指の下に1本スッと入っている線があります。実は、湯川自身もエイトスターを身に着けるようになってその線が入ったのですが、『自らの運命を自ら切り開くすごいいい手相』と、エネルギッシュに活動されるなべ氏の知られざる秘密を紹介することとなりました。人の寿命が分かり、健康の寿命を延ばすパワーをお持ちで、有名アスリートを始め、多くの方を健康に導いたそうです。そのパワーの恩恵を受けた方も会場にお見えでした。奥様が34歳で経験した命の危機を救い、76歳まで生き永らえたお話は、奥様への深く強い愛情を感じるお話でした。奥様の不在を「なべさん辛かったろうなと思って」という湯川の言葉に、「ああ、大丈夫ですよ。あいつと一緒に生きてますから」と応えられました。
お話の途中、なべ氏は突然に「東京以外から来た人、手を上げて」という誘い言葉で視線を一身に集められました。遠くは鹿児島、神戸、秋田、平塚、なんとアイスランドからもいらっしゃっていました。その方々から始まり、最後は欲しい方を募って、なんと、「僕が日本一美味いと感じている食パンです」と横浜の馬車道グラヌーズの食パンを配られたのです。とても粋なサプライズに会場は一層盛り上がりの一時となりました。最後のお話は、一気にご自身の思いを語られました。
「芸能の仕事以外では生きようと思ってません。雑誌の『月刊Hanada』(げっかんはなだ)に毎月一話、三年間ぐらいずっと映画に関して書き並べてます。10歳の時、学校行事で「海の男」という映画を見せられ、この時、なんて映画館っていうのは素敵なんだって思い、映画館通いが始まります。鉄屑屋に金モノを運んだり、朝鮮戦争特需で機械の整備をして稼いだお金で毎日のように銀座へ飛んで行ってロードショーを見る少年になっていました。その時買ったパンフレットが1万枚近くあります。ローマの休日から何から全部持ってます。映画のあのスクリーンの中で生きたい。あん中で生きなきゃ。皆こんな喜んでる。もうどんなことがあろうが、そこで生きよう。こう決めました。で、僕は正直、これから沢山のテレビやラジオに出たいと思っています。僕は86歳になりますが、元気ですよって姿を見せることによって、同じ時代を生きた仲間たちに、自分も頑張んなきゃ、と言わせて生きていこうかなと思っています」と締めくくられました。
「これから10年、なべおさみを見守って、一生懸命拍手をして、一生懸命ファンレター出して、番組によっては電話をかけて。是非、押し活をやって頂きたいと思います」と湯川からも熱いエールが送られました。なべおさみ氏、有難うございました。
第24回目の木曜塾は、年明けの会として恒例となりました大德寺昭輝氏をゲストにお迎え致しました。初頭に、大德寺氏の呼びかけで、会場の皆様と共に先代の田村富保社長に心からの黙想を捧げました。「私は本当に田村さんには沢山の愛を頂いて、今日私がこうして皆様にお話をしています。私は感謝の気持ちでいっぱいです。まさかこんなに早く天国に行かれるなんて…。人が生きるって、どういうことなんだろう…」と、考えることが多くなったと心境を言葉にされました。大德寺氏のお話を一部、そのままご紹介させて頂きます。
「そんな時、誕生日の‘ たん’ という字が、偽り、嘘という意味と知り、偽りとか嘘という日に我々は生まれている、ということは、偽りという言葉は偽りではなく、我々が学んでいる価値観で物を見ていく世界ということだと思いました。命日は命の日ですね。命って不可思議です。どこに命があるのでしょうか?頭にあるのか、足にあるのか、お腹にあるのか、わかりません。どんなに有名な先生も、ノーベル賞を貰った先生も、命、魂の在る場所を教えることができません。でも、確かに私たちには魂があります。この魂を肥やすための方法は一つしかありません。教えを学ぶこと、価値観を学ぶこと。修行すること。素晴らしい師匠について一生懸命学び、魂を学んで、心を学んで、そこで初めてその価値が分かるのです。
今年は巳年。脱皮、再生、新しいことが始まります。陰の気の年。ですが、陰の気は別に悪い意味ではなくて、火と水です。だから神、今年は神の年です。この年に何かをなさった方がいい。自分が動く。出来ることをする。お店を新しくするとか、何かを新しくする。実は今年の巳の年は、志なのです。価値観を持って志を開くことによって、運命が変わってくる。ただ、様々な困難を生じます。難行苦行の年です。この地上に生まれるということは、この地上での修行。だから、いろんな方が修行をして、やっと命の世界に帰って行ったのだと思います。皆さんも、その世界にいつかは行くのだから、慌てることはありません。今を楽しんで下さい。この楽しむということがすごく大切なのです。
コロナの頃に、湯河原で有名なゴミ屋敷、ボロ屋敷を購入して研修所を作りました。皆さんでお掃除をして、綺麗にして、今、そこが本当にユートピアになりました。石のお社に素戔嗚尊(すさのおのみこと)とその八柱(はちはしら)の神様、稲田姫命(いなだひめのみこと)をお祀りして、天台烏薬(うやく)、石上神宮(いそのかみじんぐう)に頂いた‘ヒミコ’という椿とさざれ石、橘、そして、高橋秀齊先生に名付けて頂いた‘天恩池’と、お庭も素晴らしくなりました。今度、奈良にも天恩郷(てんおんきょう)が出来ます。私がやりたいことは「大和塾」。大和心を学ぶ学校を作ろうと思っています」。
最後に、「田村さんは追求して追求して、追求していろんな方について魂で感じたことをエイトスター・ダイヤモンドに注ぎ込まれました。エイトスターの真の光は魂なのです。このエイトスターの魂を消して欲しくないから、私を木曜塾のお話に呼んで下さっているのではないかと、私は悟らせて頂いております」とご自身のエイトスター・ダイヤモンドへの思いを述べられました。
「年明けの木曜塾に参加されて、生の話を聞いて、脳を活性化して、皆さん1年間元気で生きていきましょう」と締めくくられました。年の始めに心構えとなる貴重なお話を大德寺氏、有難うございました。
第23回目の木曜塾は、今年2回目のご出演となる雅楽師・音楽家の東儀秀樹氏と今年18歳になられたご長男の典親氏をお迎え致しました。東儀氏は、日本の芸術文化の振興に多大な貢献をされたことで、昨年12月10日に発表された令和6年度文化庁長官特別表彰を受賞されました。
「今日は12月ということで、クリスマス特別仕様のプログラムです。贅沢ですよ、本当に!」という湯川の司会でお二人をステージにお招きし、東儀氏から記憶力抜群のお墨付きの典親(愛称;ちっち)氏を交え、東儀氏と湯川の出会い等、想い出話で対談が始まりました。
湯川の新刊書『私に起きた奇跡』の中でもふれていますが、東儀氏も同行されたサイババのアシュラムで開催される音楽祭に参加するために訪ねたインドの話、そして、ベストセラーにもなった東儀氏の著書に書かれた「東儀家流の子育て」(※1)の話に及びました。その東儀家流で育った張本人であり、生き証人でもあるご長男が才能を開花されている姿を目の当たりにして、会場のお客様方は納得のご様子でした。
東儀氏と典親氏によるクリスマスプレゼントに相応しい一夜限りのライブは、湯川の紹介通り特別仕様プログラムとなりました。台本無し、会場内の雰囲気をお二人が感じ取りながら、その場その時に応じた感覚で進行して行くという、会場と一体となった演奏&トークが繰り広げられ、お客様の歓喜・感動を誘いました。
お馴染みの日本のヒット曲ハナミズキから始まり、クリスマスソング、そして、ハードロックの曲や典親氏のオリジナル曲(※2)と続き、東儀氏が小さい頃から慣れ親しんだビートルズナンバーへと続きました。客層に合わせた古~い曲と解説される東儀氏に、湯川からは「悪かったわね」の合い(愛)の手が入りました。
ライブの中で思いがけない出来事がありました。東儀氏が正式に業界デビューされるずっと以前に、当時エイトスターに在籍していた社員が作詩をして、東儀氏が曲を付けたという「Very Merry Christmas to you」を披露下さったのです。突然のことでしたが、その素晴らしい曲にお客様は陶然とした面持ちで耳を傾けていらっしゃいました。ことの次第を知らず「良い歌ね~」と感じ入っていた湯川に、東儀氏から「湯川さん、これ何とか売り出して!」とラブコール。これはスタッフ仲間でさえ知らなかった話ですが、東儀氏と作詞が得意という社員との何気ないやり取りから生まれた曲のようです。エイトスター・ダイヤモンドの波動が時空を満たすプレ・クリスマスは感動の一夜となりました。
湯川ならではのゲストをお迎えして開催する「木曜塾」。その根源はエイトスター・ダイヤモンドの輝きです。その輝きを是非一度ショールームでご覧になって下さいというメッセージで会を締めくくりました。東儀秀樹氏、典親氏、有難うございました。
※1:『東儀家の子育て 才能があふれ出す35の理由』講談社
※2:典親氏はCicci(チッチ)と言うアルバムで、20曲以上を配信サービスで提供中
第22回目の木曜塾は、内閣官房長官(第66 代)、自由民主党幹事長(第39代)、自由民主党政調会長(第47代)等を歴任された中川秀直氏をお迎え致しました。
「今日聞いて頂くお話は、本当に貴重だと思います。そして私が大好きな人でもあります」との湯川の紹介で、中川氏がご登壇されました。中川氏は、「私はかつて科学技術庁長官という原発推進の責任者で、原子力委員長でもありました。2 0 1 2 年に政界を引退して今、湯川さんも幹事で頑張って下さっている原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟の副会長です」と初頭のご挨拶をされました。そして、「今まで原発必要論者は、日本の原発は絶対安全、コストは他のエネルギーと比べて一番安い、CO2を出さない永遠のクリーンエネルギーだと言ってきた。これが、全部ウソだとわかった」と小泉純一郎元総理大臣がお話されている動画を上映して下さいました。
資源のない日本、原子力の平和利用が必要。しかも安全で安いなら、核燃料サイクルも必要と信じていた小泉氏も中川氏も、2011年の福島の事故で考えを改めたそうです。壊れるはずのないものが壊れた。それでも尚、安全神話は続き、壊れたのは想定外として、誰も責任をとっていないのが現状だったようです。
「かつて自分のやった原発推進の施策は、全く間違いだったと思い知りました。心から反省して、責任が重かった分、その償いの意味でも原発ゼロに、あらゆる努力をしようと決意したのであります」と中川氏は声を大に明言されました。そして、次のような決意をお話されました。
「原発は温暖化対策として有効ではなく、事故原発は石棺にするしかない。核廃棄物も地下に埋めるしかなく、災害列島日本では処分はできない。内閣府の有識者懇談会が2020年4月に公表した日本海溝・千島海溝沿いにおける最大クラスの震度分布・津波高等の推計では、マグニチュード9クラスの地震を想定し、津波高は30mにも及び、被害エリアに原発は12基もあります。重要なのは決断なんです。今世界は、自然エネルギーが急拡大していて、国際再生可能エネルギー機関の試算では、2050年には自然エネルギーは全体の8,9割に高まる。つまり、原発が無くても十分にやっていける。我々原自連は、自然エネルギーを6割くらいにしなきゃいかんと提言しました。一刻も早く原発の停止処理に入らなければいけません。
生き残っていく為には自然生態系との多様な協調、共存しかありません。日本の産業界は、日本気候リーダーズ・パートナーシップ(JCLP)という脱炭素社会の実現に積極的な行動をする日本独自の企業グループが2009年に発足し、RE100という、事業活動で消費するエネルギーを100%再生可能エネルギーにする目標を持つ国際的な動きに加盟する日本企業も88社となりました。日本も含めて世界で、制度や政策を見直し組み変えなければなりません」
「私達一人ひとりが声を上げなきゃいけない」と湯川も強く述べました。最後に、中川氏の応援にお越し下さっていた小泉純一郎氏が「健康で頑張りましょう」と締めくくられて終演となりました。中川氏のレジメに綴られていた魂へ語る貴重なお話に参加者の方々は心を新たにされていました。中川氏、小泉氏、本当に有難うございました。
第21回目の木曜塾は、歌謡界で数々のヒット曲を生み出されている弦哲也氏をお迎え致しました。「物凄く声のいい方ですから、何とか歌って下さい、歌唱指導もして下さい、とお願いしています」という湯川の司会に会場内から拍手が沸き起こる中、弦哲也先生のご登壇となりました。
一般公募された楽曲をプロの歌手が歌うNHKの番組「あなたのメロディー」で、湯川が審査員を務めた時に弦氏と出逢いました。弦氏は全国から寄せられた曲をギターで弾いて数曲に絞る選曲係でした。弦氏は3,000曲近くを作曲する日本を代表する作曲家であり、日本音楽著作権協会会長をお務めです。
「14歳、総武本線の松岸駅から東京に出て、作曲家の大沢浄二先生の内弟子に入り、歌手として昭和40年17歳でプロデビューします。芸名は田村進二。デビュー曲の‘好き好き君が好き'は、8ビートで、全く乗ることができずに空振り。弦哲也に改名後も、空振り続きでした」と身の上話から穏やかにお話が始まりました。
空振り続きのそんな時、歌手の北島三郎さんから、一緒に旅しないかと誘われ、2年半ほど日本全国を一緒に旅をします。そして旅も終わる頃に北島さんがこんな話をします。
「弦、お前今でも歌手の夢を捨てきれないで居るのかい? 男のロマンだよな。わかるよ。でも嫁さん、子供を食わせていかなきゃいけないだろう? 音楽の道で生き抜いていくには、作曲っていう道もあるぜ。こんな俺でも歌作ってるんだよ。お前だってできないことはないぜ」と、その頃に作った歌を歌ってくれたそうです。
『作曲! この道があったんだ』と、無性に歌が創りたくなりましたと弦氏。なかなか日の目を見られなかった頃、将棋棋士の内藤國雄9段に作った「おゆき」という曲で、幸運にもこの初めての作品がヒット賞を頂き、生後4ヶ月で両親に預けていた5歳になる息子を引き取ることが出来たそうです。
「作曲家になって幸せだったなと思うことは、石原裕次郎と美空ひばりに歌を提供できたこと。裕次郎さんが病気療養中、とても体調がいい時に、「北の旅人」のレコーディングに立ち会い、その5ヶ月後に裕次郎さんは天国に旅立ちました。あの時の裕次郎さんの真っ黒に日焼けした笑顔と握手した手のぬくもりは今でも忘れることのない大切な宝物です」と、ギターの弾き語りで「北の旅人」を歌って下さいました。
歌唱指導の曲は「天城越え」、「与作」。会場中の皆様が「ヘイヘイホー」「トントントン」と元気良く歌われていました。他にも「月の砂漠」、「おもいでの岬」、そして、「天城越え」の弾き語りを堪能させて頂きました。湯川から「土下座するくらい、本当に素晴らしかった。有難うございました。素敵だった~。もうこんな贅沢な時間はありません」と感激の言葉で終演となりました。参加者の方からも「今の時代の明るさではない、昭和の憂いや哀しみを帯びた音楽に今夜は酔いしれました」と感想を頂きました。弦先生、本当に、有難うございました。
第20回目の木曜塾は、昨年2月にお迎えした元内閣総理大臣・小泉純一郎氏に続き、総理大臣経験者のお二人目となる鳩山由紀夫氏をゲストにお迎え致しました。湯川の人脈は広く、木曜塾にお迎えするゲストの方々をご覧頂いても、音楽業界のみならず様々な分野での交流があることにビックリ致します。エイトスターでは、とりわけ鳩山氏ご夫人とは30年以上も前にご縁を頂いていたのですが、ファーストレディとしては勿論、多くの方がご存知なのは、湯川も所属していたコーラスグループ“スワン・シスターズ”のメンバーとしてでした。
「素敵でしょ、何より素敵でしょ…」壇上にすらりと立たれた鳩山氏を見つめながらの湯川の第一声に会場内の空気が一気に和らぎました。先ずは、歴史を回顧するお話からスタートしました。
日本が朝鮮半島を統治していた時代に、朝鮮独立活動家たちが収監されていた西大門刑務所(※1)。
2015年8月、その跡地を鳩山氏が訪れ、独立活動家たちを偲ぶモニュメントに献花をした後、鳩山氏がひざまずいて謝罪された際の心情を湯川の問いかけでお話されました。当時国内では、「謝罪外交」等と揶揄されましたが、心から詫びるという謝罪の本当の在り方とはどのようなことか日本国民は深慮(思索)しなければならないと視点を述べられました。
『本当にUFOに乗ったことはあるの? 』と湯川が突然投げかけます。通称‘宇宙人'と呼ばれている鳩山氏ですが、客席にいらした夫人が代わりに「ありま~す」と朗らかに答えられ、会場を大いに湧かせました。夫人に応援されて政治家になろうと決心されたお話、コロナワクチン接種の危険性、拝米中毒への危惧と話題は次々と移り、湯川が最も懸念している地球温暖化や食糧危機について問いかけると、ブルーカーボン(※2)について言及され、海洋国として日本は政策的にやるべきであること。食糧危機に関しては、遺伝子組換食品に代表されるアメリカの戦略的な管理への危惧等から、ロシアとの友好を深める必要があると言及されました。
鳩山氏が提供された資料「緊迫する国際情勢と日本の立ち位置」を元に「21年後には100年にもなる在日米軍基地駐留の異常性、ウクライナとロシア、中国と台湾の関係」についてのお話に皆様は真剣に耳を傾けていらっしゃいました。山積する課題をクリアーするには、政治家の誰が旗振りをするのですか?という問いかけに、「たとえ微力でも無力ではない。一人でも良い人を育てて真剣に考えていきましょう」と鳩山氏は締めくくられました。現実を踏まえた上で、ご自身のお考えをこれ程までに明言して下さったことに参加者の方々は感無量のご様子でした。鳩山氏、多岐にわたる示唆に富んだお話を有難うございました。
※1:西大門刑務所: 祖国独立のため日帝の侵略に立ち向かい闘い投獄され、残忍な拷問と弾圧を受け、殉国した先烈らの魂を称え、後世に自主独立精神を伝える歴史の生きた教育の場とすべく、1998年11月5日、跡地に「西大門刑務所歴史館」が開館される
※2:海中・海面付近にある生態系によって吸収・貯留された炭素のこと。陸地にある森林等が吸収・貯留した炭素のグリーンカーボンと区別するために、呼び分けされている
第19回目の木曜塾は、江原啓之氏をお迎え致しました。昨年の5月にご出演下さった時と同様に、情報解禁と共に非常に多くのお申し込みを頂戴し、席数の倍以上のキャンセル待ちを承りました。キャンセル待ちとしてお待ち頂いた大多数のお客様のご要望にお応えすることが出来なかったことを、改めて深くお詫び申し上げます。
会の翌日発刊予定の江原氏の新刊『大切な人を失ったときに-この悲しみはどうしたら癒えるのでしょう-』 (小学館)を湯川が紹介した後、会場の「えはら」コールと共に、色鮮やかなパッチワーク仕立ての浴衣風の服を纏われた江原氏がご登壇されました。幾つかのワンポイント・トークの後、昨年ご出演頂いた際に予言されていた“お米がスーパーから消える”話題となりました。巷では、6月頃から米不足の話題は頻繁に取り上げられていましたが、その理由は3ヶ月経った今でも定かではありません。異常気象による出来高の問題なのか、備蓄米の供給の問題なのか、出所不明の噂で買占めが始まっていたからなのか、真相はつかめないまま人々が価格高騰だけに翻弄されている現状です。前回も江原氏は沼津でお米作りをされていらっしゃり、皆さんに自給自足の生活を強く勧められていました。
続いて、心霊研究者としてのお話となりました。スピリチュアリズムはハイとローの二つに分かれること、霊能者の見極め方、自然霊・神道の定義、正しい参拝の在り方、そして自分自身の守護霊の役割についてなど、スピリチュアリズムの第一人者ならではのお話を伺う機会となりました。加えて、日本文化である言霊を知る人が少なくなっていることへの危惧や、日頃、音として口に出してしまうと間違いなく不幸せになる音霊についてお話し下さいました。私達が日々の生活を健やかに過ごしていく為に、幅広い分野での示唆に富んだお話を、分かり易い形でご提供下さる江原氏ですが、最後に、いくつかのお祓いの方法を伝授して下さいました。
神道では『振魂(ふりたま)』と呼ばれるもので、自分自身が身に着けている中で、一番大事な(自分の魂と一体化している)物を用いて行う方法です。(エイトスター・ダイヤモンドをお持ちの方は、是非、エイトスターで)手の中に入れたその一番大事な物を丹田の位置に構え、肩の力を抜き、地に足を付け安定させ、背中を真っ直ぐにして、自然な呼吸で、「“自分の魂が手の中で綺麗に綺麗に綺麗に磨かれていく”という想念を持って行って下さい」と江原氏は優しく包むような声で先導されました。数分の振魂の後は、もう吐き出せませんと言うくらいに息を全て吐き出し、また自然に吸いリラックス。参加者の方々は、会場内が明るく澄んだ時空となる体験をされていました。この他にも音霊を使ったお祓い等、江原氏もお話されたいことがまだまだおありのご様子でしたが、「また今度お話します・・・」と名残惜しい気持ちを抑えながら締めくくられました。
「本当に有難うございました。もし私がちゃんと来年も木曜塾をやれていたら来年も必ず来て下さい。それを楽しみに生きていきたいと思います」との湯川の熱烈ラブコールに、会場は大きな拍手と歓声が起こりました。江原氏、有難うございました。
第18回目の木曜塾は、コシノジュンコ氏をお迎え致しました。新人デザイナーの登竜門『装苑賞』を最年少の19歳で受賞され、東京を拠点に世界中で活躍されています。超有名なファッション・デザイナーであるコシノ氏の、少女のように純粋な人柄に触れることが出来る機会となりました。
「今日のゲストは、なかなか話を聞ける相手ではありません。存在そのものが凄いです。実際に存在して、その人がそっくりそのままその人だっていうのを見る。もうそれだけでも価値があると思います」という湯川の紹介でコシノ氏が登壇されました。
著書『原点から現点』からも窺えるコシノ氏の創作活動の源、生きる姿勢について「原点っていうのは自分自身の基本ですね。世の中に踏み出した時の第一歩。デッサンから始まって現在というのは、毎日原点から現点、明日も現点。明後日も現点。今から未来にも繋がる」というお話から始まりました。そして次にスクリーンには、コシノ氏の創造の原点である、高校時代に描いた絵画や装苑賞の受賞作をはじめ、現在に至る多彩で挑戦に満ちた活動の全貌を紹介する過去最大規模の展覧会である巡回展『原点から現点』の様子を放映されました。会場では衣装やデザイン画、写真パネル、映像演出などが紹介され、約200点の作品を通してコシノジュンコの創造の軌跡を紹介しています。
「私自身のコンセプトは対極。人間は両手を持っているように常にバランスをとります。一日で言うなら、昼と夜。色で言うなら、赤と黒、白と黒。形で言うなら、丸と四角。丸は宇宙を常に動いているということで、地球ですよね。四角は人間が考えている合理ということ」と、具体的にお話をして下さいました。続いて、琳派をテーマとして、能のお囃子、すり足で行った京都でのファッションショーのお話です。このショーは、『京都・パリ姉妹都市60年イベント』としてパリでも披露され、壮麗なルネサンス様式の市庁舎の建物の中で、京都の伝統が表現されました。「日本の在り方を見せたい。それを衣装で見せたい」という、日本人としての誇りと共に「人間的な交流が入っていく。国境を取る仕事。自分の経験が自分の中で終わるのでは無く、社会的にもっと活かされなければいけない」と、コシノ氏の強い信念と志をお聞かせ下さいました。
お母様も含め、姉妹三人全員がファッションの世界に生きる家族。人生を振り返りながら、「家族に恵まれている、というのが一番の財産かな」と笑顔で話され、来年には、お母様がモデルとなった映画が、大地真央さん主演で上映されるとのことです。
「自分の人生、どの時代が一番好きかと言えば、開拓時代ですね。やっぱり20代ってまっさらで何も無かった。だから何をやっても珍しかった。ブティックって名前が日本で最初なんてありえないでしょ」最後には「余計な話いっぱいしたから忘れてください」と、チャーミングな笑顔で締めくくられました。コシノジュンコ氏、楽しく貴重なお話と映像を有難うございました。
第17回目の木曜塾は、来年で楽曲の誕生から半世紀を迎える「なごり雪」で知られるイルカ氏をお迎え致しました。湯川の「人って、人のこと知らないのよね」との切り出しから始まり、「先代の田村社長が本当に大好きな方でした」とご紹介し、イルカ氏を檀上へお招き致しました。
拍手で迎えられたイルカ氏に、ここでビッグサブライ ズ!! 中学の時からイルカ氏のファンクラブに入っているという筋金入りの信奉者、江原啓之氏が最前列から出迎えられ、会場は大盛り上がりとなりました。
イルカ氏と湯川、先代の田村富保との出会いは、二人の著書がきっかけでした。本屋で目についた『地球はダイヤモンド(田村著)』がダイヤモンドのように光って見え、「なんて素敵なタイトルだろう」と思って隣を見たら湯川の『幸福(しあわせ)へのバラダイム』があって、(二人が夫婦とは知らず)両方買ったお話には、お 客様も驚きを隠せませんでした。イルカ氏によると、その頃から不思議なことが起こり始め、ご自身で楽曲『ケサランパサラン』を作ったお話や、青年だった頃の江原氏との出会い、江原夫人とのご縁、そして、「一生ついていこう」と決めた湯川との出会い等々、次々と偶然では考えられないような深いお話が続きました。その後、ドイツで20年間ルドルフ・シュタイナ一の勉強をされていた川手鷹彦先生のお話へと繋がります。母音の持つエネルギーや、言語造形術という先生の素晴らしい講座等を通じて学んだというお話に、古希を迎えても変わらぬ声の魅力の一端を伺い知ることが出来ました。実は、イルカ氏のご尊父は戦後とても人気のあったバンドのサックス奏者で、95歳になられていたご尊父は、昨年のイルカ氏のステージで、リハーサル時には重くて到底持てないと言っていたサックスを本番で見事に吹かれたというお話に、「イルカさんも95までは歌える」と湯川から熱いエールが送られ、会場の共感を誘いました。
そして、いよいよ亡き田村との絆のお話に。エイトスター・ダイヤモンドのネックレスやブレスレットを、体調不良のご主人にプレゼントしたことや、田村のタイピンに収まっていたエイトスターを、イルカ氏の為に指輪にリフォームしたというお話をお聞かせ下さいました。
締めくくりに、33年間続けている日曜日の朝のラジオ番組の中で伝えている”デザート世代”という言葉をご紹介下さいました。「人生をフルコースの料理と考えれば、最後に良いものがやってくる。自分達が少年少女の頃にやりたかったことを是非本気でやってみて!」と、ご自身が還暦を過ぎたからこそ言えるという、力強いアドバイスでした。
最後には、ご自身のエイトスター・ダイヤモンドの指輪から放たれた、虹色の輝きから着想を得て作曲された 『ダイヤモンド』を特別にご披露下さり、湯川の目には大粒の涙が。そして、「まだ5分残ってるから・・・」と、湯川からの熱烈なオファーにお応え下さる形で、世代を超えて 歌い継がれている名曲「なごり雪」をイルカ氏のアテンドと共に全員で合唱し終演となりました。イルカ氏、本当に有難うございました。
第16回目の木曜塾は二回目のご出演となる松元ヒロ氏をお迎えしました。5月3日の憲法記念日に因んで、今回は、ヒロ氏の有名な持ちネタである「憲法くん」をお聴きしたい、という湯川の希望でご登壇頂きました。
湯川の兄が出兵前に口ずさんでいたという曲「スリーピー・ラグーン(午後の入り江)」は、真珠湾攻撃の時には全米で人気音楽番付(ヒットチャート)では1位になっていたそうです。その曲と伴に、戦争で亡くなった兄との想い出が湯川の心には深く刻まれています。日本は敗戦し、後に日本国憲法が作られ、恒久の平和を念願しました。現在、ニュースで流れる世界情勢を見ても、また日本でさえ、取り巻く諸国の情勢や海域などの課題は楽観視で きないことばかりです、と二人の話は続き、ヒロ氏の有名な持ちネタである「憲法くん」へと繋がって行きました。
「憲法くん」は、身体全体が「憲法くん」となったヒロ氏の自己(憲法くん)紹介で始まり、日本国憲法前文全てを訴えかけて会場を感動の渦に巻き込みます。
「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。」-日本国憲法前文
前文を熱く語り終えた後、憲法くん(ヒロ氏)は次のような言葉で締めくくりました。
「僕は今初心に戻りました。皆さんが頑張れと言われればまだまだ頑張ります。でもある一部の人々は私の事を自虐的だとかプライドがない、もっと誇りを持てとか仰います。でも私はこの77年間、たった一度も戦争という名前で他の国の人々を殺したことがない!そのことを誇りに思っています。しかしこの私をどうするかは皆さんが決めることです。私は皆さんの私なのですから。では私を今日の皆さんに託しましたよ。」とメッセージを託して語りを終わられました。
下向き加減に目頭を熱くされていらした方も多く、改めて憲法くんを通して平和の意味を感じられていたのかも知れません。松元ヒロ氏、有難うございました。